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[52]
――人為的な設定ミスにより開発途中のバージョンB0が誤適用され、四月三日十三時から十九時までにログインしたユーザーに不適切なサービスを提供した。
四月四日、VRN社は正式な謝罪を発表した。
誰もが首を傾げたのは「事故中のデータはログサーバーも誤適用時のエラーでパンクしたためVRN社にも残されていない」と説明したことだ。ただ、VRN社はリスクマネージメントが甘かったことも認め、抜本的な対策が講じられるまでの間、無期限でPVサービスそのものを中断すると発表した。むしろ世間一般は、この決断に驚くことになった。
事故被害者への対応も素早かった。
チケットの全額返済は元より、事故被害者の脳検査やカウンセリングに関わる費用の全額負担。希望者のPVシートをメーカー小売り希望価格で買い取るとの告知。さらに今後運営されるPVコンテンツに対する無料チケット配布の確約。事故内容に関する情報が限られているところを除けば、その対応は完璧に近い内容といえた。
もっとも、マスメディアはこぞって「それみろ!」と叫んだ。
だが、彼らが率先して取り上げた事故中の出来事も、のちに不可能であることがわかると逆に赤っ恥をかくことになった。
「一部の有識者は、PVシートの出力を高めれば心不全を起こすことが可能だと指摘しているようです。しかしながら、それは低周波治療器を指さして『これは出力をあげれば心不全が起きる』と叫ぶのと同じこと。だいたいですね、高出力のシートを作るには、かなりのお金がかかります。VRNにすれば、出力は下げるだけ下げて、部品コストを抑えたいところなんです。今回の対策案に、資格検査を厳しくするというものが入っていますが、これは対策ではなく、そのあたりが本音でしょう。つまりですね――」
とある討論番組の中、若手の経済評論家は、こう言いながら、老齢の有識者たちをこてんぱんにたたきのめした。ちなみに彼は「個人的感情からPVには反対します」と語っている。彼は自分のことを古い人間であるとも告げていた。
VRN社が復帰第一号となる新作の情報を流し始めたのは、それから間もなくのことだった。
そして、通称「墓事件」から三ヶ月後――
◆
期末試験が終わると、教室は夏休み前のソワソワとした空気に包まれ出した。もっとも、話題の中心は例の新作PVゲームだ。
「なぁ、見ろよこれ」
「すげぇ――あっ、こっちこっち。こんなのもあんのか?」
「マジで島ひとつ作ってんだもんあぁ」
「くぅ、早くβやんねぇかなぁ」
教室の中程では、男子生徒たちがバーグラをかけて騒ぎ立てていた。同様のクラスの半数が、休み時間になると同時にバーグラをかけ、あれこれとお喋りに興じている。
話し相手は目の前にいるとは限らない。特に机に小さなカメラボールを置いている者は、間違いなく、教室の外の誰かと話し込んでいた。今では別段、珍しくない光景だ。ユピキタス社会の到来は、コミニケーションにおける距離という概念を完全に突き崩そうとしているのだ。
もっとも、誰も彼もがバーグラで休み時間をすごしているわけでもない。
「……おっ。今日はなんだ?」
すらりとした長身の少年は窓枠に腰掛けながら、窓際中列の座席に座る小柄な少年に声をかけた。小柄な少年は机に分厚い本を広げていた。左腕で額を抑えつつ、何やら黙々と読み続けている。もちろん、いずれもバーグラをかけていない。かけていないどころか、学校にも持ち込んでいない。
「おーい、カラス」
長身の少年――加藤政爾(かとう・まさじ)は苦笑まじりにもう一度声をかけた。
「……見ればわかるだろ」
小柄な少年――烏山浩太郎は不機嫌そう答えた。
さもありなん。学校の図書館から借りてきた動物図鑑であるのは、誰の目にもあきらかなのだ。それなのに尋ねてきたということは、これが単なる話のキッカケでしかないことを暗示している。気づきたくもないことだが、今月に入ってこれで三度目だ。たとえイヤでも気づかされてしまう。
「ところでね」政爾が告げた。
「断る」浩太郎は即答した。
「そう言うなよ、な? 俺の顔に免じてさ」
「……だから、前にも言ったろ」
浩太郎はパタンと図鑑を閉ざした。
「そういうことに余力は避けるほど余裕が無いんだって」
「だからさぁ、そういうことは本人が口にするべきだと思うわけよ、俺としては」
「……だから、それもイヤなんだって言ったろ」
「んなこと言うなよ。だいたい、おまえが悪いんだろうが」
「……なんでだよ」
「こうも激変されちゃあ、気になる女子も増えて当然だろ?」
浩太郎はムッと顔をしかめた。困ったことに、そんな不機嫌そうな表情すら、同性の政爾から見ても悪く思えないのだから呆れるしかない。
「だったら交換条件だ。昔のよしみで何を言われても聞かずにいたが……何かあったんだろ、春休み中に。女か?」
浩太郎は席を立った。
「おい」
「トイレ」
彼はひらひらを手を振りながら廊下に出て行った。その後ろ姿を視線で追いかける女子が、教室の中だけでも軽く十人ほどいた。
◆
烏山浩太郎といえば、陰気で無愛想でヒョロッとしたチビにすぎないと誰もが考えていた。ところが春休みが明けてからというもの、どういうわけか彼の雰囲気は変わっていた。陰気であること、無愛想であること、ヒョロッとしたチビであることに変わりはなかったが、妙な落ち着きとでも言うべきものを身に付けていたのだ。
それだけではない。
彼は毎朝のトレーニングを始めた。喘息持ちで運動が苦手だという認識しか無かった周囲は、なにが彼をそうさせるのか、不思議に思った。ただ、青白かった肌が健康的になると、驚くほど浩太郎の容姿は激変した。いや、開花した。
もともと素材は良かったのだ。
顔立ちは中性的。躰の均整もとれている。身長こそ低いが、まだ中学三年生だ。それにこの三ヶ月で五センチも伸びているという。それでも魅力に欠けていたのは、不健康な部分と寡黙な性格が災いしていたからにすぎない。
だが、浩太郎は開花した。
さらに時々、何かを思い出すように遠くを見つめながら、寂しげな、それでいて辛そうな目をするようになった……
これに参った女子が多かった。特に夕暮れ時の図書館でこれをやられると参るしかない。母性本能がくすぐられまくる。思わず声をかけたくなるが、なぜか寸前になると彼は我に返り、再びガードを固める。おかげで余計、気になってしまう。ついつい目で追いかけてしまう。それは同学年どころか、下級生の女子にしても同様だ。中には同性でありながら、つい彼を見ると視線が追いかけてしまう者までいる始末だ……
◆
(……ったく)
浩太郎はトイレに向かわず、その足で校舎の屋上へと出て行った。
頭上には初夏の青空が広がっていた。
周囲を取り囲む鉄柵さえなければ、それこそ視界の全てが青空で埋まりそうだ。それはそれで、きっと恐ろしい光景だろうと感じてしまう自分に、浩太郎は苛立ちを覚えた。
(あれだっていうんだろ?)
彼は自分自身に問いかけた。
正式には『バージョンB0誤適用事故』、ネットでは『墓事件』と呼ばれている四月三日の出来事以降、浩太郎の中で何かが起きていた。もっとも、なにが起きているのか、彼自身もよく理解できずにいる。ひとつだけ言えることがあるとすれば――奇妙な夢を見るようになったということぐらいだろう。
『WIZARD LABYRINTH』の夢だ。
カタナを手にする、漆黒の忍者になる夢だ。
猛速度で怪物たちを次々と切り倒した。
人間も斬り殺した。
地下迷宮という閉鎖空間の中で、無限に続く殺し合いの渦中に……
(夢だろ)
と思う。だが、それだけではないと感じる自分もいる。
空を見上げたくなるのは、そんな時だ。
迷宮に空は無かった。だから、無性に空が見上げたくなるのだ。そんな気がしている。
晴れていなくてもいい。
曇っていても、淀んでいても、とにかく空と認識できるものがあればいい。
視界一杯の青空ではダメだ。雲があれば話は別だが、空を『空』と認識するには、視界の隅に、空ではないものがなければならない。少なくとも、そうでもない限り、烏山浩太郎は空を『空』として認識できない。むしろ、青く塗りつぶされた迷宮の天井のように感じられ……
――カタッ
背後から物音が聞こえた。瞬間、浩太郎の躰は反応していた。
わずかに腰を落とし、両手を左腰に伸ばしながら振り返る――が、途中で浩太郎は、溜め息をつきつつ全身の力を抜いた。
ドアが風で動いただけだったのだ。
(またか……)
苦々しい思いが胸の奥からジンワリと広がっていく。
普段はそうでもないのに、夢のことを考えている時は、この手のアホみたいな反応をやってしまう。原因は察しがついているが、あまり深く考えたくない。
「ふぅ……」
浩太郎は再び青空を見上げた。
(……リィ)
ふと、墓事件で出会ったリーナのことが思い出された。
胸が締め付けられた。
同時に、今はまだ、という思いもこみ上げてきた。
不思議な感覚だ。
たった三時間とちょっと、墓事件という異常事態の中で出会っただけの女の子に、ここまで執着している自分が馬鹿馬鹿しいとさえ思える。だが一方では、今のままではいけないのだという思いがこみ上げてきている。いったい、何時になれば「まだ」が終わるのか見当もつかないが、それでもまだ――
(戻るわけには……)
そう思った矢先、浩太郎は自分の心の言葉に疑念を抱いた。
(……戻る?)
不思議と違和感が無い言葉だ。
何処に戻るというのか。あの迷宮だろうか。『WIZARD LABYRINTH』に?
(戻る……)
足下を見つめると、アスファルトの地面が迷宮の床板に見えた。
振り返る先には校舎に続くドアがあった。
まさにその時、強風が真横から吹き抜けた。
ドアが自ら開いた。
(戻る…………………………)
ドアの向こう側は薄暗かった。どこかで見たことのある薄暗さだった。
一瞬、馬鹿馬鹿しい想像が脳裏をよぎった。
ドアの向こうに、あの迷宮が広がっているという妄想だ。その奥には様々な怪物が息づいており、さらに奥底には、とてつもない強敵が待ちかまえている――そんな妄想だった。
(強敵……)
浩太郎は空を見上げてみた。
(強敵は…………)
思いつくのは――自分だった。血塗れの太刀を持った自分自身が思い浮かんだ。
なぜか口元がほころんだ。
(悪くない)
それどころか、それこそが正解のような気がした。
(そうか……)
なんとなくだったが、浩太郎はひとつの答えにたどりついた。
自分はまだ迷宮の中にいる。
墓事件は終わっていない。
命懸けの迷宮探索は、今もまだ続いている。
烏山浩太郎は――クロウという黒い剣士は――さらなる攻略のための前準備をしているだけにすぎない。そう考えると、どうして躰を鍛えだしたのか、その理由も納得できるような気がした。それに、どうして興味もないのに様々な動物や空想上の怪物たちの骨格、筋肉、動きなどについて考えることが多いのかも。
――キーン、コーン、カーン、コーン
休み時間終了のチャイムが鳴った。
浩太郎は苦笑した。
いや、クロウは苦笑いを浮かべた。
(戻ってもいいのか?)
彼は再び、視線を開いたままのドアへと向けた。
薄暗い場所へと通じている。
迷宮に通じる入口。
学校もひとつの迷宮だ。面倒なことがいろいろとあるのも、大して変わらない。とりあえず、ここで生き残らなければ、次なる迷宮に向かうことができない。いや、戻れない。戻るためには、まずここでの戦いに勝利しなければならないのだ。
勝利条件は?
クリア条件は?
まだなにもわからない。
当然だ。ここには金色のあいつ――誰のことだろう?――がいない。もしかすると死というゲームオーバーを迎えた時には、ヒョッコリと現れ、種明かしをしてくれるかもしれない。実はこれこれというヤツを倒さなければハッピーエンドにならなかったんですよ、とか。
(……やってやるさ)
クロウは歩き出した。
武器も防具も無い。あるのは貧弱な躰と貧相な知識だけだ。
だが、恐いとは思わなかった。
あの世界ではどれほど躰を鍛えようと、実践を経験しなければ強くならない。一方、この世界では実践を積まなくとも、ある程度までなら躰を鍛え、勉強に励むことで地力をつけることができる。そのあとのことは、その時に考えよう。
戻らなければならない。
伝えなければならない言葉もある。
約束もある。
最後の夜、ささやかな約束を交わしたのだ。
また……会えるよね?
リィと約束をかわし……約束を………………
(――あれ?)
記憶が妙な具合にいりまじっている。一瞬だけ戸惑ったが、すぐに頭を振り、クロウは校舎の中へと入っていった。
考える時間ならいくらでもある。今はただ、前に進むのだ。
この――
“命懸けの迷宮”を生き抜くためにも
END
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