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[48]
転移先はコロシアムだった。
(――えっ?)
驚いたクロウは、周囲を見回した。
(――違う!?)
コロシアムに見えるが、彼の知るコロシアムではなかった。微妙に違うところがあるのだ。たとえば、観客席と運動場を結ぶ階段が無い。SHOPの看板も無い。ストーンサークルもない。そればかりか、一瞬だけ場内が明滅すると、予想外の光景が出現した。
――ウワァアアアアアアア!
大歓声が響き渡った。
観客席が埋まっている。満員だ。そのほとんどが、ローマ時代のトーガを身に付けていた。老若男女、いろいろな観客がいた。
「――クロウ!?」
驚きの声が背後から響いた。
振り返ると、観客席の最前列のレイスの姿があった。レイスだけではない。他にもボイルやランスロットの姿があった。全部で八名。最前列に並ぶレイスたちは、見えない壁を叩きながら声を張り上げていた。どうやら運動場と観客席の間には、不可視の障壁を張り巡らせてあるらしい。
「クロウ! 無事だっ――」
〈はい、そこまで〉
黄金の少年の声がレイスの言葉をさえぎった。
歓声の音量が半分に弱まる。
「……どこだ」
クロウは太刀を身構えながら、運動場に視線を走らせた。
「ここだよ」
忽然とクロウの目の前に黄金の少年が姿を現した。
歓声がピタリと止んだ。
「……これは、なんだ?」
クロウは目を細めながら尋ねた。
「終わりの始まりさ」
黄金の少年はクルリと背を向け、運動場の中央に向かった。
「最初からこういう設定になっていたんだ。初めてワーグナーと戦うパーティが現れた場合、ログインしているプレイヤー全員を集めるっていう設定だよ。もちろん、見物するだけで手出しはできない。前後左右にいる他の観客にも手を出せない。だから、呉越同舟しても問題はない」
黄金の少年は観客席の一角を指さした。
視線を向けると、そこには全裸の集団がいた。軽く数百はいる。おそらく自治会の面々だろうとクロウは察しを付けた。
(だったら――)
彼は観客席をグルリと見回した。
独立派らしき集団もいた。自治会は向かって右側、独立派は左側に集められてる。攻略隊は背後だ。配置に際して、黄金の少年はそれなりに気を利かせたらしい。そうだとわかった瞬間、クロウはバッと振り返り、レイスの居る場所をジッと見据えた。
リーナを探した。
居なかった。
言葉を失った。
あわてて自治会の区画を見た。
「いないよ」黄金の少年の言葉が突き刺さった。「マコもアズサも、観客席には居ない」
彼はクスクスと笑いながら運動場の中央に立ち、クロウを見据えた。
「さぁ、フィナーレだ」
「……わかってる」
クロウはシャツの胸元をギュッと掴みあげた。
(ロストは現実の死に直結していない……直結していない……生きてる……リーナもバッシュさんもマコさんも……みんな生きている…………)
祈るように心の中でつぶやき続けた。
「いいかい?」
「……あぁ」
クロウはスッと両目を開けた。
黄金の少年はいなかった。運動場の中央に立っているのは、灰色の法衣を身にまとう、長身の老魔術師だけだった。
よくぞここまで来た
響き渡るのは、浪々とした重い声だった。
我が名はワーグナー! 迷宮の魔術師! 百獣の支配者!
暴君ボートレーの《聖印》はここにある!
されど勇者よ! 先に真実を明かそう!
この《聖印》は最初から――
漆黒の風が吹いた。
どよめきが起きた。
「……ちっ」
ザザザッと土の地面を削りながら、クロウは運動場の北側の壁際まで滑っていった。
〈お約束ぐらい守らなきゃね〉
黄金の少年の声が聞こえた。
「……おまえと同じか」
〈イベントシーンが終わるまではね。それにしても……攻撃しようって意志そのものが抑制されるはずなんだよ、普通ならさ。それなのにキミ、今回も迷いもせず、斬りかかったね。脱帽だよ。負けを認めて、ひとつだけいいこと、教えてあげようか?〉
「……で?」
〈アズサ八号がナビゲーターと接触する。あと六秒〉
「……今、なんて言った?」
〈三、二……アズサ八号がナビゲーターと接触したよ。あっ、笑い出した〉
「待て! なんであいつが――」
「アーッハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
病的な笑いがコロシアムに響き渡った。
歓声とどよめきも響いた。
「どうだ! やっぱりそうだったじゃないか! アーッハハハハハ!」
先ほどまでクロウがいた場所に半裸の巨漢が立っていた。
次の瞬間、その隣りに純白の甲冑騎士が出現した。
頭上にはオーバーヘッド・ステータスが表示されていた。
巨漢の頭上には――“AZUSA8GO”。
白騎士の頭上には――“MAKO”。
クロウは驚きのあまり、今なおイベントを続けるワーグナーごしに最悪の二人を――アズサとマコを――見据えることしかできなかった。
「アーッハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
「……みーつけたっ」
風がうねった。
考えるより先に、躰が反応してくれた。
――キィーン!
第九階層の始まりの瞬間が再現された。
いや、攻守が入れ替わっている。
今度は×字に振り下ろされた二本の直剣を、白銀に輝く細身の刀身が受け止めていた。
「居た……居たよ……居た居た居た居た居たぁあああああああああ!」
「――どうして!?」
クロウは叫んだ。いったい何が起きたのか、理解できなかった。
しかし、目の前には彼女がいる。
大きく目を見開いた彼女――マコが、目の前にいる。
「クロぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
白い狂気が雄叫びをあげた。
〈無条件で全員を集めるわけじゃないんだ〉
黄金の少年の声がクロウの耳元で響いた。
〈第十階層にいるプレイヤーだけは例外的に……あっ、そういえば知らないよね。第九階層のダウンゲート、パーティを組んでると、転移の確認のあとに『パーティ編成が解除されますが、よろしいですか?』ってウィンドウが出るんだ。ディペロッパーはね、そのあたりで最終階層の攻略を難しくしようって考えたみたいだよ。だから、第十階層にいるプレイヤーは、強制転移の対象から外されるんだ。もしかすると、戦闘中にたどり着けるかもしれないだろ?〉
クロウは最後まで聞いていなかった。
マコが目の前にいるのだ。
つまり、マコと戦っていた――
「――リィは!?」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」
二人は激突した。
その間にも――
◆
「さぁ、ワーグナー! 我が下僕となれ! コールスキル!」
アズサが叫んだ。
彼の視界の中では、運動場全域を包み込むように、ドーム状の緑光格子が広がっていった。
直後、コロシアムには百体近い怪物たちが出現した。
巨大な目玉――レッドアイ。
一つ目の巨漢――サイクロプス。
六つの翼を持つ悪魔――グレートデーモン。
ボロボロの法衣を身に纏う骸骨――リッチ。
蛇髪半女半蛇の怪物――ゴルゴン。
さらにマンティコア、スカイワーム、レッサーデーモン、マスターニンジャ、ショーグン、ヘルキャスター、ホーリーナイトといった、第九階層のクリーチャーまで出現した。
その数、全部で二百五十五体。
二百五十六体目のクリーチャーの名は――ワーグナー・ザ・ラビリンスマスター。
だが、迷宮の主人の座は、次の瞬間に奪われてしまった。
「――“マスター・オブ・ラビリンス”!」
迷宮を手にするための一言を、狂える教祖は大声で口にした。
まさにその瞬間、イベント処理が完了したのだった。
◆
(しまった――!)
クロウがミスを悟ったのは、左右から別の何かが迫った瞬間だった。
間に合わない。
(――くそっ!)
太刀を左手に持ち、左前方にグッと躰を沈み込ませた。
マコはこの隙を逃さなかった。
残された右腕を、迷うことなく、直剣で切り裂いた。
(くっ――)
激痛などというレベルではない。切り裂かれたというより、力任せに吹き飛ばされた感じだ。実在現実であれば気絶してもおかしくないほどの強烈な痛みが伴っている。だが、クロウにとっては慣れ親しんだ痛みでもあった。少なくとも、腹部を腕で貫かれた痛みに比べれば可愛いものだ。
クロウは怯むことなく、左前方に向かって踏み出した。
直後、左右から迫るマスターニンジャが頭上で交差した。
首を刈りにきたのだ。
(先に――!)
クロウは全速力でマコの横をすり抜けた。
「待てぇええええええええええええええええええええええ!」
背後からマコの奇声が響いた。同時に何かを切断する音も聞こえた。
手近のクリーチャーを切り裂いたのかもしれない。
もはや敵味方の区別が無いらしい。そうだと気づいたクロウは、わずかばかりの希望を見出した。
(だったら――)
クロウは迫り来るクリーチャーの軍勢に向かって突進した。
怪物たちが攻撃を仕掛けようとしてくる。
間違いない。魔術師ワーグナーは怪物たちを召喚したが、あの狂える教祖の“マスター・オブ・ラビリンス”によって、従僕と化してしまったのだ。しかし、だからこそ――
(――勝てる!)
クロウは縦横無尽にクリーチャーの間近をすり抜けていった。
レッドアイの破壊光線がサイクロプスを消滅させる。ゴルゴンの石化光線はグレートデーモンを生ける彫像に変え、リッチとヘルキャスターの呪文はショーグンやマンティコアを巻き込んで炸裂していく……
壮大な同士討ちが始まった。
大歓声が轟いた。
トーガ姿の観客はNPCにすぎないらしい。プレイヤーの反応に応じて、自動的に歓声をあげるよう設定されているようにも思える。そんなことを類推できるほど、クロウは冷静さを取り戻しつつあった。
「――オープンウィンドウ」
左手にカタナを持っている関係から、ヴォイスコマンドでウィンドウを展開した。
「アイテムウィンドウ。ユーズ。ラージヒールクリスタル」
ヴォイスコマンドだけで回復アイテムの使用を宣言する。
欠点は時間がかかることだ。
頭上にボールオブジェが出現。これがシュバッと水晶に替わり、砕け散ってから、全身が淡く輝く。失われた右腕も白い靄が集まるようにして元に戻る。以上は十秒ほどで完了した。超高速で戦うクロウにしてみれば、無限にも等しい時間だ。
(――よしっ)
彼は同士討ちを誘い続けながら、さらにもうひと細工を行った。
走りながらでも可能な細工だ。
なにしろ――アイテムをひとつ、取り出すだけなのだから。
◆
「逃げるな! 戦え! 死ね! 殺されろ! あたしに殺されろ!」
マコは奇声をあげながらクリーチャーを切り刻んでいる。
「アーッハハハハハハハ!」
アズサは高笑いをあげ続けていた。
今や半分にまで減りかけているクリーチャーは、同士討ちを続けている。その元凶ともいえる黒い影は、マコを取り巻くように走り続けている……
(……すごい)
リコはギュッと両手を握りながら、クロウの動きを目で追いかけた。
歓声はそれほど大きく響いてこない。そのかわり、運動場にいるプレイヤー三人の声だけはハッキリと聞き分けることができた。そういう仕様らしい。付け加える点があるとすれば、見えざる壁に囲まれているものの、周囲一座席のプレイヤーとは、会話ができるという点だろう。
「化け物ですね……」
左隣に座るリチャードが半ば呆れたとばかりに小さくつぶやいた。
「誰のこと?」
「そりゃあ……三人ともです」
否定できない。
なんとなく右隣りを見ると、リトルジョンが胸元で両手を握りながら、真剣な表情で黒い風を追いかけ続けていた。さもありなん。以前から“K-OH”ことクロウに強い思い入れを抱いていたリトルジョンは、キリーの話を信じ、今やクロウの熱烈なファンと化しているのだ。
同様の者は、他にもたくさんいる。
もしかすると、ここに強制転移されてからの展開で、信奉者の数は増えたかも知れない。
すべてが終わろうとしていた。
クロウというプレイヤーが、ひとりでワーグナーを倒そうとしていた。
悪夢が終わる。
迷宮から抜け出せる。
だが――アズサとマコが邪魔をした。当然、誰だろうとクロウを応援したくなる。リトルジョンのような熱烈なファンにならずとも、クロウの勝利を願いたくなる。それが人情だ。
何気なく振り返ってみると、最上列にキリーとマサミの姿があった。
二人は祈っていた。
両手を額の前で組み合わせ、少しだけうつむいて、一心不乱に祈っていた。
「――そうよ!」
リコは今さらのように、そのことを思い出した。
「やることあるじゃない!」
「リ、リーダー!?」
「ルーマーシステムよ、ルーマーシステム! リチャード、ジョンさん、みんなも他の人に信じるように言って! あの忍者が、クロウが最強のプレイヤーなんだって、なにが何でも信じるように伝言するの! 急いで! 信じられないなら祈って! みんなが信じれば、それが力になるんだって!」
「そうか!」
答えたのは、前の座席にいたジンだ。すぐに彼は、さらに前の座席の者に語りかけた。彼の隣りに座るアケミも、別の者に語りかけている。背後のワイズ、ボーイも同様だ。見ている間にも、その伝言は次々と周囲に広がっていく……
「勝って!」
リコは胸元で両手の指を絡ませた。
「お願い! もう終わらせて!」
信じるところまではいかないかもしれない。だが、祈るだけでも何かの力になれば……
今は、祈りが力になることを『信じる』しかなかった。
◆
(――んっ?)
急に躰が軽くなった。疲労という限界に近づいていたはずの自分の躰が、嘘のように活力を取り戻し始めた。そのことに違和感を覚えたが、原因について考えている余裕は無かった。なにしろ、仕掛けは大詰めに来ている。もう少しマコが位置を変えないと、どちらか一方をとりのがしてしまう……
◆
それは戦闘開始から六分後のことだった。
クリーチャーの数が四十を切った。
さすがにここまでくると、同士討ちも無くなる。クロウの姿も隠れない。だが、クリーチャーを盾にできないほどではなかった。マコは猛然とクロウに迫るが、その先には必ず何らかのクリーチャーが立ちふさがった。
「どけ! 張りぼて! 邪魔するな!」
彼女はクリーチャーに切り裂いた。しかし、クロウのようにクリティカルを狙えるわけではない。マコは何度も剣撃を繰り返すことで、抵抗しないクリーチャーを消し去ってから、再びクロウを探した。もちろん、わざわざ倒す必要もないのだが、そこまで考えられないほど、今のマコは常軌を逸していた。
「逃げんじゃないよ、このガキ!」
マコは叫びながら首を巡らせた。
瞬間、何かが一気に彼女の周囲を包み込んだ。
濃霧だ。
だが濃霧が広がる一瞬前に、マコは駆け抜けるクロウの姿を捕らえた。
「――小細工を!」
マコはクロウを追った。
濃霧を抜け、その背中に迫る。
(――とった!)
彼女は右の直剣を腰だめに構えた。
アクションスキル“ハードチャージ”――戦士系であれば、誰もが早い段階で習得する基本的な突撃技だ。マコも何かと愛用してきた技である。おかげで完全習熟も成し遂げている。“ブロードソード”はその域に達していないが、これはクロウの速度に追いつくための作戦として彼女が選んだ戦闘スタイルだ。
クロウは不思議とカナタ一本での戦いに固執している。
だったらこちらは二本で戦えばいい。
一本多いのだから、こちらが強いはずだ。そもそも二刀流は強いに違いない。宮本武蔵もそうだった。実際、自治会員たちは二刀流で戦うマコを見て、その実力を認めた。だから負けるはずがない。自分がクロウに――
(負けるはず無いじゃない――!)
その瞬間、クロウは振り返った。
カナタを手にしていなかった。
左腕を突き出し、右手で手首を掴んでいた。
「――喰らえ」
それはクロウが刺青に対して命じた言葉だった。
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