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Deadly Labyrinth : The Automatic Heart

[38]


 最初にストーンサークルの周辺で異変が起きた。頭上から落ちてきた何かが、突如として膨大な煙を吹き出したのだ。
 “スモークボム”と呼ばれるアイテムだ。
 第一階層で手に入るものの、数分間、ダークゾーンの濃霧を再現するだけという、使いどころの難しいアイテムだ。いや、実際問題として、これを使いこなしているプレイヤーは誰一人としていないという、リストの添え物にすぎないアイテムだ。
 だが、今回の作戦では、誰もが無視していたこのアイテムこそが主役だった。
「いっちょあがり」
 魔術師に変装したボーイは、ニヤニヤと笑いながら寝床の陰に隠れた。
 本番は、これからなのだ。


「コールマジック! フォッグフィールド!」
 ジンは叫び挙げると同時に自分を起点とした濃霧を発生させた。ほぼ同時にリコがマントを跳ね上げ、飛びだしていく。
(走れ、走れ、走れ、走れ!)
 彼女は自らを叱咤しながら走った。
 うろたえる親衛隊員の背後をすり抜ける。もう一人の後もすり抜ける。濃霧が追いついてきた。もう一人がこちらを向いた。間に合わない。だが、目指すべき場所は、その向こう側にある。
「――やっ!」
 リコは思いっきり頭から滑り込んでいった。三人目が何かを叫びながら手を伸ばしていたが、その下を彼女の小柄な躰がすり抜けていく。
(行けた!?)
 白いシーツを巻き付けたままだったのも、良い方向に働いてくれた。
 瞬く間に濃霧が広がる中、リコは一瞬だけ目にした光景だけを頼りに、四つんばいになりながら走り、すぐ起きあがって、寝床を仕切る白い布の切れ目に飛び込んでいった。
「な、なんだ!?」「お、おい!?」
 邪魔者は白い法衣を身につける魔術師二人だけ。予想より少ない。いけそうだ。
「コールマジック! フォースフィールド!」
 リコは使い捨ての不可視障壁を生み出す呪文を発動させながら、全速力で魔術師のひとりにぶつかっていった。すると間近まで迫ったところで、その魔術師がドーンと嘘のように壁まで吹き飛んでいった。
 当然だ。魔術師は、小柄な少女が駆け寄ってくるだけだと錯覚していた。身構えてもいなかった。だが、今のリコは、巨大な盾を構えて突進したも同然である。しかもリコは、レベル十九の聖職者、相手はレベル十にも達していない魔術師だ。パワーの差は歴然としている。
「コールマジック!」
 足を滑らせながら急制動をかけたリコは、さらなる呪文を詠唱した。
「スネークバインド!」
 突き出した両手から光の縄が飛びだしていく。それは驚愕のあまり硬直していた、もうひとりの魔術師に巻き付いた。
「いっ――!?」
 光縄にぐるぐる巻きにされた魔術師は受け身もとれないまま倒れ込んだ。
 拘束時間はたったの十秒。だが、充分な時間だ。
「痛いけど我慢して!」
 リコはシーツを脱ぎ捨て、太股に巻き付けていたダガーを抜き払った。
 ダガーは刃物でありながら、唯一、すべてのクラスでスキルがセットできる武具である。そして、スキルさえセットしてあれば、どれほどレベルが低かろうと最低でも一ポイントのダメージを発生させることができる。
 一方、すべてのインテリア系アイテムは、一ポイントでもダメージを受けると破壊される。
「はっ!」
 リコは椅子にダガーを振り下ろした。
 直後、椅子は一瞬にして砕け散り、粒子と化した。
「ん――っ!」
 ベルトで拘束され、口も塞がれていた少女は、そのまま尻餅をついた。
 ジンが駆け込んできたのは、まさのその時だった。
「リコちゃん! 早く――うわっ!」
 彼は大慌てで背中を向けた。
 下着姿だったのは囚われの少女だけではない。家具の隙間をすり抜ける関係上、リコもスポーツブラにショーツ、太股に女性魔術師用にデザインされたナイフという、あられもない恰好で、シーツを躰に巻き付けていたのだ。
 一方、ジンは例の白い鎧を脱ぎ捨ている。《システム》の装備制限チェック――ウィンドウ操作で装備を変更すると、装備制限に引っかかる防具は、ペナルティとしてボールオブジェと化す――を悪用し、早着替えを済ませたのだ。
「ジンさん、早くやっちゃって!」
 リコは少女の拘束を解きながら声を張り上げた。
「で、でも、裸じゃないか!」
「裸でもなんでもいいの! 捕まったら裸になるだけで済まないじゃない!」
「わ、わかった、わかったから!」
 ジンは家具の壁に向かって両手を突き出した。
「コールマジック! フレームショォォォォォォォット!」
 彼の周囲に出現した赤い光は、次々と目の前の家具に打ち込まれていった。
 呪文攻撃なのだから、当然、ダメージが発生する。
 インテリア系アイテムは、ダメージを一点でも受けると破壊される。
 そしてここは――家具で作られた虚城の中だった。


 先に異変に気づいたのはクロウだった。
(煙?――“スモークボム”? “フォッグフィールド”?)
 前者はアイテム、後者は魔術師用の呪文型アクションスキルの名前だ。自分では使えないスキルまで覚えているところがクロウの真骨頂と言えるのかもしれない。だが、異変に気づき、その原因を推察できたとしても、今は深く考えている余裕も無かった。
 それでも、無視しえない事態が発生する。
 四方八方から破壊音が轟いた。
 これにはクロウもギョッとした。
 だが、マコは気にもとめていなかった。
「隙だからけじゃない!」
 マコは壮絶な笑みを浮かべながら、さらなる加速を見せた。
 一瞬、四本の剣閃が見えた。
(――“フォークローバー”!)
 武器型アクションスキル“フォークローバー”は連続四回攻撃を繰り出す派手な技だ。ただ、四本の剣閃が走る視覚効果は、始動直後から現れるという欠点がある。おまけに、挟み込むような最初の二撃と次の二撃の間にも、決して無視しえない隙が存在する。
 もちろん、今のマコが相手では懐に潜り込む余裕も無いだろう。だが、そこには間違いなく隙が存在しており、今のクロウには、遠距離を狙える攻撃手段があった。
(ここ――!)
 クロウは最初の二撃をのけぞることで避けた。
 間一髪だ。
 続けざま、彼は無謀にもマコの懐に飛び込もうとした。
 だが、マコの照準はすでにクロウをとらえている。彼女は自動的に半歩しりぞき、上下から挟み込む、後発の二撃目を放とうとした。
 いかにクロウが素早くとも間に合わない。
 カタナを突きだされようと、こちらの剣閃が先に走るのは明白だ。
 マコは両目どころか、瞳孔までも大きく開き、歓喜に酔った。
 歯を剥き出し、獰猛な笑みすら浮かべていた。
――あたしの勝ちよ!
 そんな言葉が聞こえそうな表情だ。
 しかし、クロウには秘策がある。彼はカタナを――手放した。
「!?」
 一瞬だけマコの目に驚愕の光が走った。
 クロウは左掌を突きだし、その手首を右手でギュッと握った。
 チャンスは一度っきり。
 他のアクションスキルと同様、思考だけで起動しないと、間違いなく間に合わない。
 クロウは心の中で叫んだ。
(――燃えろ!)
 次の瞬間、真紅の閃光が瞬いた。


 リチャードは観客席西側でグレートソードを振り回していた。当然、剣先が少しでも触れた寝床という寝床が砕け散り、崩壊していく。同様にコロシアムの各地で盛大な破壊活動が行われていた。もったいないという気持ちもあるが、ここまで縦横無尽に壊し回れるというのは、それはそれでなかなか爽快だ。
「よしっ、あとは――」
 対岸を見ようと運動場に目を向けたところでリチャードの動きはぴたりと停まった。
「――マジ?」
 それはすべてのプレイヤーの心情でもあった。


 その瞬間のマコは、素できょとんとした顔になっていた。
 彼女は、何が起きたのか、理解できずにいた。
 視界が真っ赤に染まったかと思うと、全身を揺さぶる凶悪な衝撃が襲いかかってきた。そのまま吹き飛ばされ、受け身すらとれないまま、背中からコロシアム北側の階段に叩きつけられた。
「かはっ――!」
 現実であれば鮮血を吐き出している瞬間だ。
 だが、ここは仮想現実世界。『WIZARD LABYRINTH』にはスプラッターな演出が実装されていない。おかげでマコは、唾液をまき散らすことしかできなかった。その唾液すらも、飛び散ったかと思うとジュッと一瞬にして蒸発していった。
 彼女を階段に押し込み続けるもの――それはクロウの刺青から飛びだした、紅蓮の炎龍だった。


 その名を「サラマンドラ・オブ・タトゥ」。クラスに関係なく、高レベルの単体火炎呪文攻撃を繰り出すという、第四階層の特殊なショップアイテムだ。
 第四階層のSHOPには、ヒールクリスタル以外にも、この手のタトゥ――破格の高値だった――と「タトゥデザイン」という、タトゥをリデザインする商品(?)が売られていた。それを知ったクロウは、ふとした思いつきで、細工を施すことにした。
 選んだタトゥはもっとも高価な“サラマンドラ・オブ・タトゥ”。
 彼は一日かけて、もとからある刺青に良く似た形へとリデザインした。
 欠点は三つ。
 アイテムウィンドウに収納できない。
 ひとつしか装備できない。
 使い捨てである。
 一発限りの打ち上げ花火も同然だ。値段の高さも考えれば、素直に“メガフレイムボム”などのドロップアイテムを使うのが賢い選択だとさえ言える。
 だが、タトゥは取り出しの手間を必要としない。そこにクロウは強く惹かれた。
――これなら高速戦闘中も…………
 だからこそ彼は、何度も何度も“サラマンドラ・オブ・タトゥ”を購入、第四階層で使い方を習熟した。もともと一人での探索行で、資金だけが増える一方だったのだ。こうして彼は、思考操作で“サラマンドラ・オブ・タトゥ”を使えるまでになっていった。


「くっ……!」
 紅蓮の炎龍を放出し終えると、クロウは顔をしかめながら左腕の痛みを押さえ込んだ。理由は不明だが、タトゥを使うと刺青を施した部位に痛みが走るためだ。もっとも、激痛というほどではない。数千本の小さな針が突き刺さる程度の痛みだ。腹部を剣で貫通されたり、腕を切り落とされたりする痛みに比べれば軽いものだった。
「ふぅ…………」
 クロウはゆっくり腕を降ろした。
 コロシアムは静寂に包まれていた。何気なく眺めてみると、純白の装備を身につけた面々とそれ以外の面々が観客席の各地で対峙しているが――そのいずれも、驚きの眼差しをクロウに向けていた。
 彼は最後に、マコへ視線を向けた。
 階段が大きく抉れている。その中心に、マコが半ばまで埋まっていた。炭化どころか、髪すら燃えていないのは、ここが仮想現実世界だからこそと言うしかないだろう。それ以前に、“サラマンドラ・オブ・タトゥ”を喰らって姿形を残していたのはマコが初めてだ。もしマントを脱ぎ捨てなければ、下手をすると吹き飛ばされることすら無かったかもしれない。
 だが、彼女の頭上に浮かぶHPバーは、あと少しでHPがゼロになると主張していた。
 よく見るとMPも底をついている。戦闘中もぐんぐんMPが浪費されていたのだから、もしかすると無詠唱で高速化呪文“ヘイスト”を唱え続けていたのかもしれない。そこからさらに減っているということは、“サラマンドラ・オブ・タトゥ”を喰らう中でも、無詠唱で回復呪文“キュア”を使い続けた可能性が高い。
 本質的に武器型アクションスキルと呪文型アクションスキルは同種のものだ。モーションというトリガーを使える分、武器型の無詠唱は比較的楽に行える。強いて言えば、その程度の違いしかない。クロウが“サラマンドラ・オブ・タトゥ”を無詠唱で起動したように、マコもまた無詠唱で呪文型アクションスキルを使いこなした可能性は非常に高い……
「クゥ!?」
 懐かしい声が聞こえた。
 最初は幻聴だと思った。
「クゥ! クゥだよね! クゥ! クゥ!」
 誰かが家具の瓦礫をガラゴロと崩していた。クロウはつられるように、視線を左斜め上へと走らせていった。

 リーナがいた。

 下着姿のリーナが、さながら家具のゴミ置き場と化した観客席を、危うい足取りで駆け下りてきている。その上には、慌てて追いかけるジンとリコの姿もあったが、クロウの目には、リーナしか見えていなかった。
「リィ……」
 クロウの脳裏に、辱めを受けていたマサミの姿がよぎっていった。
 怒りが膨れあがった。
 彼はキッと、舞台を睨みあげた。
 舞台中央、あのソファーのうえには、今も悠然と半裸の巨漢が腰を降ろしていた。傍らにいる中性的なプレイヤーは、うろたえながら下がっているようだが、半裸の巨漢は怯えるどころか、にやついた笑みを浮かべ続けている……
(あいつが――!)
 思考が真っ赤に染まりかけた。
 だが、その直前、
「きゃっ」
 リーナの小さな悲鳴が聞こえた。
 反射的にクロウの躰が動いた。わずか三歩でトップスピードに達し、漆黒の旋風と化して家具の瓦礫の中へと飛びこんでいった。
 リーナは足を滑らせ、前のめりに倒れようとしていた。
 黒い疾風は高く跳躍したかと思うと、
(――っいけ!)
 不自然な角度と速度で彼女のもとへと、一直線に落下していった。
 武具系アクションスキル“ライダーキック”だ。
 突き出す右脚にダメージエフェクトが灯る。もっともエフェクトの色は、ネームカラーと一緒だ。クロウのネームカラーも今も黒く染まっている。それゆえに猛速度で落下していく今のクロウは、黒い流星と化していた。
 流星は家具の山に突っ込んだ。
――ドォオオオオオン!
 爆音に近い破壊音が轟き、破壊された家具が莫大な量と粒子と化して霧散していった。
 すべてが消えると――
「………………」
 仰向けに倒れるクロウの腹の上に、
「………………」
 下着姿のリーナがペタッと座り込んでいた。
 コロシアムはなおも静まりかえっている。
 それゆえに、その音は意外なほどの大きさで響き渡ることになった。
――パチンッ
 クロウは左頬を叩かれていた。
 彼を叩いたリーナは、涙目になりながら、グッと唇を引き締めていた。
 クロウもまた、ぐっと歯を食いしばった。
 痛かった。
 クリーチャーの攻撃より、タトゥの反動より、リーナの小さな手で叩かれた痛みは、一本の針となって頭の奥深くまで突き刺さった……
「なにラブコメしてんのよ!」
 突如、誰かがザッと二人の傍らに飛び降りてきた。リーナと同じ下着姿の少女――いや、童女というべきの――リコだった。
「さっさと逃げ出すの! それとも自治会全員皆殺しにするとか言い出すつもり!?」
「コールマジック! フレイムショット!」
 少し離れたところでは、ジンの無差別炎弾攻撃が再開されていた。次々と打ち込まれる炎弾は、観客席中の家具という家具を破壊していく。その轟音は、コロシアムの停まっていた時間を再び動かしていった。負けてはならずと、他の面々も破壊活動を再開したのだ。
 クロウとリーナは互いの顔を見た。
「無事か」
 今さらだったが、クロウは尋ねずにいられなかった。
 リーナは彼の上からどきつつ、即答した。
「全然大丈夫」
「――つかまれ」
「うん」
 突如、二人は黒い疾風に変貌した。リーナはクロウの首にギュッとしがみつき、クロウはリーナを横抱きに抱え上げながら全速力で運動場に飛び降りていった。
「あっ! こら! その役目、こっちのもんなのに!」
「り、リコちゃん! 急がないとMPが!」
「あぁあああ! 撤収ぅううう! みんな撤収ぅううううううううう!」
 リコは叫びながら運動場へと飛び降りていった。
 その頃にはもう、黒い疾風はコロシアムから姿を消しているのだった。

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