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Deadly Labyrinth : The Automatic Heart

[34]


 同じ頃。
「……クロウくん?」
 いつも通り、ベッドの脇で眠りかけていたクロウは、ハッとなって目を覚ました。見るとカーテンがそっと押し開けられ、誰かが中を覗き込んでいる。
(リィ……?)
「ちょっと……いい?」
 続く声で、予想が外れていることに気が付いた。クロウが答えるより先に、キョロキョロと周囲を確かめてから中に滑り込んできたのは、Tシャツにスカートという初期装備からベストを除いた恰好になったマサミだった。
「……なに?」
 クロウは立ち上がりながらマサミに尋ねた。
 彼の装備は普段となにも変わらない。膝当てと一体化したロングブーツ、ゆったりとした黒いパンツ、太いベルト、躰にフィットする袖無しのハイネックシャツ――このまま狩りに出ても問題のない恰好だ。
 マサミはしばらく、寝床でも変わることのないクロウをジッと見つめた。
 クロウは居心地の悪さを感じた。自然と表情も曇っていく。
「……なに?」
 彼はもう一度、同じ質問を投げかけた。
「……うん、ちょっと」
 マサミは近づき、掛け布団がかけられた状態のパイプベッドに腰を降ろした。
「座って」
 彼女は自分の右隣りをポンポンと軽く叩いた。
 一瞬だけ考えたが、断る理由もないのでクロウは素直に腰を降ろした。しかし、マサミはジッと横顔を見つめてくるだけで、何も語ろうとしない。クロウはさらに居心地の悪さを覚え、右足をベッドにあげつつ、膝と共にカタナを抱きかかえた。
 マサミは小首を傾げた。
「クロウくんって……強いよね」
「……まぁ」
「どうして?」
「……GAFで鍛えたから」
「そのゲームでも強かったんだよね?」
「……そうでもない」
 クロウは目を細め、フッと自嘲するように頬を緩めた。
 接近戦なら誰にも負けない自信がある。姉にすら勝つ自信がある。だが、GAFのメインは砲撃戦だ。そして、接近戦と砲撃戦とでは、必要とされる先読みの質がまったく異なっている。姉が言うには「選手と監督の違い」らしい。おそらく、大局的な判断力という点で、自分は姉に負けているのだ――とクロウは考えている。
「クロウくんより強い人、いるの?」
「……姉さん」
「クロウくんの?」
 彼は頬を緩ませたままコクリとうなずいた。
 ふとクロウは、ここ数日、姉のことを考えていなかったことに気づいた。考えていたことはリーナのことと、あの時の赤い興奮のことばかり……
「……クロウくん」
 マサミの手が、クロウの太股に添え置かれた。
 クロウはギョッとしながら、その手を見下ろした。黒い布地に添え置かれた彼女の手は、驚くほど白く、暖かく、柔らかかった。
 クロウはマサミの吐息を左肩に感じた。
「私じゃ……だめかな?」
 言葉の意味が理解できない。
 なにが「私ではダメ」なのか。
 良いも悪いも、どういう意味でマサミが関係してくるというのか。
 まったくわからない。
 だが――
「……クロウくんから見たら……十九って、おばさん?」
 刹那、彼は理解した。
 同時にクロウは困惑した。
「や、やめ――」
 慌てて立ち上がろうとしたクロウの左腕を、マサミの右手が力強く掴んできた。
「逃げないで」
 太股に置かれた左手にも力が込められていた。たったそれだけのことで、クロウは立ち上がりかけた躰を引き戻されてしまった。
「お願い。逃げないで。ダメでもいいから、だから、逃げるのだけは、やめて」
 マサミは両腕をクロウの左腕に絡めてきた。ふくよかな胸も押しつけられてくる。腕が剥き出しである分、異常なまでの柔らかさを自覚せずにいられなくなった。
「好きなの」
 マサミは熱っぽくつぶやいた。
「私、クロウくんのこと、好きになっちゃったの」
 クロウは顔を背けた。
 頭の中はグチャグチャだ。マサミの意図は理解できたが、それでも「どうして?」という思いが渦巻いている。
 生まれて初めて、告白された。いや、姉の友人に冗談半分で告白されたことならある。同様に抱きつかれたこともある。しかし、現状はそれとはまったく別物だ。
「ごめんね、クロウくん。私、もう止められなくて……」
 マサミはクロウの左肩に額を押し当てながらボソボソと語り続けた。
「クロウくん、覚えてないよね。最初の日……クロウくん、私を助けてくれたんだよ。あんなにいたゴブリン、蹴散らしていって……すごくカッコ良かった…………私ね、あの時にもう、クロウくんのこと、好きになってたの。でも――」
 マサミは顔をあげ、なおも顔を背けるクロウに語りかけた。
「――クロウくん、リーナちゃんのことが好きなんでしょ?」
 クロウは沈黙を守った。
 困惑のあまり、言葉の意味すら理解していなかった。
「いいの、それでも」
 マサミは再び額を肩に押し当てた。
「クロウくんが別の人のこと、好きでもいいの。だって、好きになるって、そういうことだもの。私、クロウくんと出会うまで、そんなことも知らなかった……私ね、こんなに誰かを好きになったこと、一度も無いの。誰かを好きになっても、こんなに平凡で、なんの取り柄のない私のことなんか見向きもされないって……ずっとそう思って……でも……だから……いいの、クロウくんが私のこと、好きにならなくても。だって、クロウくん、すごいもの。クロウくんは特別な人で……私は普通の人だから…………」
 スッとマサミが離れていった。
 クロウはふぅと息を吐きながら、躰の緊張を解いた。
 どうやら、終わったらしい。言葉の意味は、まだ理解できずにいるものの、とにもかくにも終わってくれたのだ。考えるのはあとでいい。とにかく疲れた……
――シュルッ
 衣擦れの音が聞こえた。
(……えっ?)
 思わずクロウは、顔をマサミのほうに向けた。
 彼女は――Tシャツを脱いでいた。スポーツブラを付けていなかった。
 柔らかく揺れる大きなふくらみが、手を伸ばせば届く場所にあった。
 慌ててクロウは顔を背けた。
(なっ――なっ――なっ――なっ――――)
 困惑の度合いが深まる。
 クロウも年頃の男の子だ。興味が無いといえば嘘になる。薄着で歩き回る姉の姿を、チラチラと盗み見たこともある。アダルトサイトを覗いた経験だってある。だが、今のクロウは、性的な劣情以上に恐怖を感じていた。
 なにか、とんでもない深みにはまりかけている予感もあった。
――ジーッ
 ジッパーの音が聞こえた。続けて、別の衣擦れの音が聞こえた。
――ギシッ
 ベッドがきしんだ。
「クロウくん……」
 柔らかいものが左肩に押しつけられてくる。
 しっとりとした腕が抱きしめてくる。
 熱っぽい囁きが、耳元にふきかけられる。
「……好きにして……いいよ」
 瞬間、クロウの頭は許容量の限界を超えた。


 その時、レイスとバッシュは噴水の縁に並んで座っていた。寝床に引っ込んだ独立派三人の会話に聞き耳をたてていたのだ。だからこそ、その声もハッキリと聞くことができた。
「――きゃっ!」
 小さな悲鳴だった。
 ハッとなった二人は、顔を寝床の境界――男性陣と女性陣を分ける境界の出入口――へと向けた。直後、そこから物凄い形相のクロウが飛びだしてきた。
「クロウ!?」「どうした!?」
 驚いたレイスとバッシュは慌てて立ち上がったが、その頃にはもう、クロウは噴水の横を駆け抜け、ドアに両手からぶつかっていった。遅れて隔壁がゆっくりとせり上がり始めた。
「クロウ!」
 駆けだしたレイスは、クロウの両肩を背後から掴んだ。
 途端。
「触るな!」
 クロウは力いっぱい、その手を振り払った。おかげで振り返ることになったが、クロウの表情はこれまでに見たことがないほど、険しさと怒りに満ちあふれていた。
「なんだ!?」「クロウ?」「おい、どうした!?」
 他の面々が寝床から出てくる。
 かと思うと、クロウはその場に倒れ込んだ。そのままゴロゴロと転がり、隔壁の下の小さな隙間から出て行ってしまう。
「待て、クロウ!」
 レイスは腹這いになりながら声を張り上げたが、すでにクロウの姿が見えなかった。
 さらに隔壁がせり上がる。レイスは四つんばいになりながら外に出た。
 廊下には、呆然と廊下の一方を眺める夜番の二人が立ちつくしていた。
「クロウは!?」
「――えっ?」
「クロウはあっちか!? あっち行ったんだな!?」
「クゥ!?」
 リーナが廊下に駆けだしてきた。彼女だけではない。他の面々も続々とドアに駆け寄ってきていた。その向こう側に、独立派三人の姿もあった。レイスは舌打ちをうちそうになるが、グッと我慢し、声をはりあげた。
「クロウが精神的に参った! あっちだ! 頼む!」
 真っ先に動いたのはリーナだった。
 すぐに他の面々も動き出す。走りながら武装を整え、近くにいる面々とパーティを組み、遙か先のT字路で半分ずつ左右に分かれていく……
 気が付けばレイスだけが取り残されていた。
 いや、もうひとり、この場に残っている者がいる。
「……隊長」
 バッシュは苦虫を噛みつぶしたような表情で、上がったままの隔壁の下に立った。
「……どうした」
「マサミです」
 瞬間、レイスは息を飲んだ。蒼白だった顔が一気に紅潮していく。だらりと垂らしていたはずの両手は、震えるほどに握りしめられ、その震えは肩や顎にも伝播していった。
「――私のせいだ」
 絞り出すようにレイスはつぶやいた。
「違います」バッシュは即答した。「俺たちのせいです」
「違う」
「違いません」
「違う――私だ」
 レイスは自らの目元を鷲づかみにした。
「もっと……あの子のことを気に掛けて当然だった。それを怠ったのは、私だ。あの事件も、私がしっかり止めておけば…………」

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