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[32]
(変なことになっちゃったな……)
寝床のベッドに寝転がったリーナは、ぼんやりとしたままウィンドウを展開してみた。
―― PLAYTIME 00:00:24:09:13:09
リーナは四月三日の十五時前後にログインしている。初日を〇日目と計算すると、今は二十四日目、四月二十七日の午後十一時頃という計算になる。世間的には、そろそろゴールデンウィークをむかえる時期だ。もっとも、だからどうしたという思う自分がいた。たとえ夏休みが近づこうと、彼女には関係のない話なのだ。
(あたし……どうなってるのかな…………)
両目を閉ざし、実在現実の自分の躰のことを考えてみる。
なんとなくだが、いつものベッドの上で寝かされている自分が脳裏に浮かんだ。場所は集中治療室だ。躰のいたるところにチューブが突き刺さり、口には人工呼吸装置が取り付けられている。枕元には心電図を表示する機械が動き続け、反対側の枕元には点滴を引っ掛けるスタンドが立っている。
そんな情景を、彼女は窓越しに眺めていた。そんな光景がイメージされていた。
(……馬鹿みたい)
リーナは目を開け、ごろりと横向きに寝返ってみた。ウィンドウの左半分がベッドの中に埋まってしまうが、敷き布団が最初から透けていたかのように、ウィンドウ全体がハッキリと見えている。うっとうしくなった彼女はウィンドウのクローズオブジェを叩くようにノックした。
遠くからピアノの旋律が聞こえてくる。第三階層のSHOPで売っているインテリア系アイテム“蓄音機”の音だ。音楽ファイルが存在しないため、デフォルトで登録されている環境音楽――クラシックやオールド・ジャズなど――しか再生できないものの、やはり音楽のある生活というのは、それだけでかなり違うものだ。リーナはしばらく、普段の彼女なら決して聞くことはないジャズピアノの旋律に耳を傾け続けた。
――ズズズズズッ…………
重厚な隔壁が壁とすりあう音が響いた。
リーナは躰を起こし、耳をそばたてた。
(……交替?)
就寝時間は午後十時から午前六時まで。その間はたとえ起きていても静かにするのが、暗黙の了解となっている。ただ、万が一に備えて、就寝時間も一パーティが二人一組ずつ、三時間交替で歩哨に立つことにもなっていた。リーナは最初、その交替の時間になったのかと思ったのだ。
(もうそんな時間なんだ……)
リーナはベッドの上に座り直した。
なんとなくウィンドウを開き、飲み物か何かをとりだそうとする――が、よく見るとアイテムウィンドウはまっさらに近い状態だった。考えてみると今日は帰ってきてからアイテムの補充を行っていない。ドロップアイテムの収集も皆に任せていたため、予備の武器とヒールクリスタルが数個、あるだけだった。
「……買ってこよ」
リーナはベッドを降り、足音をしのばせながら寝床を出て行った。
先客がいた。
「う――――――――むっ」
SHOPと書かれた看板が張り付けられてある壁の手前には、武装を解除したマコがあぐらをかいて座り込んでいた。ショーツパンツにTシャツ、足にはサンダルを履き、茶色がかった長い髪は普段通りのポニーテイルにまとめている。
「こんばん……わ?」
不思議に思いながら近づいたリーナは小首を傾げながら声をかけた。
「――あっ、買い物?」
肩越しに振り返ったマコがニコッと笑い返してくる。
「はい。補充しとくの、忘れてたんで。マコさんは?」
「ちょっとさ、寝床の模様替えしようかなぁって」
「あっ、家具ですか?」
「ベッドをどーんと大きいのにしようと思うんだけどさ、そうしたら今あるカーテンと遭わないのよ、色合いが。ほら、ここのベッドって妙なのしかないじゃない」
「ま、まぁ……」
なにしろ第三階層のSHOPはパーティグッズとジョークアイテムのオンパレードだ。リストアップされているベッドといえば「天蓋が降りると白鳥の入れ物になるベッド」だとか「ぐるぐる回転する円形ベッド」だとか「大の字に凹んでいるベッド」だとか、とにかく普通のベッドがひとつも無い。
「あ〜ぁ」
マコはショップウィンドウを閉ざし、うんっと背伸びをした。
「やっぱコロシアムじゃないといいのが見つかんないのかなぁ」
「他の人と交換するとかは……?」
「ん〜っ……やっぱパス。みんな、シングルサイズしか持ってないし」
そういえばマコはダブルサイズの布団を寝床に押し込んでいたはずだ。
「ダブルサイズ……ですか?」
「そうそう。あたし、寝相が悪いから広いところじゃないと落ち着いて寝られないのよ。まぁ、ここだと寝返りもうたないから気にするだけ無意味って話もあるけど。ところで話は変わるけど――」
マコは立ち上がりながらズバッと尋ねてきた。
「リーナ、クロウと最後までやんないの?」
しばらくの間、リーナはきょとんとマコを見返した。
次いで、ボッと全身を真っ赤にさせた。
マコはクククッと笑う。
「正直だよねぇ、リーナって」
「ま、マコさ――!」
「しっ!」
声を張り上げかけたリーナに、マコは唇に指をたてて注意を促した。咄嗟にリーナは自らの両手を口を塞いだ。それでも赤らんだ顔で、グッとマコを睨みつけた。
「イッヒヒヒ」
マコは上品とはいえない笑い声をあげた。
「そうだ――中番(なかばん)、一緒に交替しない? 一度、リーナとはじっくり話してみたいところだったし……それとも、そっちの寝床に押し掛けようか?」
リーナは勢いよく首を横にふった。
いかに声を潜めようとも寝床の天井はがら空きだ。声は必ずとなりに漏れてしまう。しかも、クロウの寝床は、すぐ近くにある。
「じゃ、買い物をチャチャッと済ませといて」
マコは明るく言い放つと、ドアを開け、廊下に出て行くのだった。
◆
夜番の役目は松明の明かりを途絶えさせないことと、プレイヤーの接近に気づいたら、即座に中へと知らせることの二つだ。そのため通常は、ドアの前の廊下に二人が背をあわせて座る形で夜番を勤める。武装を整えたマコとリーナも、その慣例にならい、廊下の中央に背中合わせになって腰を降ろした。
「さーて、これで心おきなく危ない話もできるってもんでしょ」
チェインメイルにサーコート、アームガードにレッグガード、手前に六尺金剛棒を置き、あぐらをかいて座るマコは慣れた手つきで長い髪をまとめだした。
一方、ロングブーツにゆったりとした黒いパンツ、躰にフィットするノースリーブのハイネックシャツに黒革のレザージャケットという恰好で薙刀を手前に置き、両膝をかかえて座るリーナは悩み込んでいるような表情でジッと通路の彼方を見据えている。
「今さら言うまでも無いと思うけど、あたし、口だけは堅いから安心してね」
マコは髪を結い上げ終えると、最後に“ダイアモンドティアラ”を装着した。
「で、リーナ。クロウのこと、好きなんでしょ?」
彼女は革新の部分から切り込んだ。
しかし。
「……マコさん」
「なに?」
「……わからないっていうの……ダメですか?」
リーナは真剣な表情のまま、視線を手前の薙刀へと降ろしていった。
マコはぼりぼりとうなじをかいた。
「うーん、別にダメじゃないけど……でも、嫌いってわけじゃないんでしょ?」
「………………」
「なんとか言う」
「……嫌いってわけじゃ…………」
「だったら好きなのよ」
「でも」
「『でも』は無し。って言うかさ、リーナ、もしかして恋愛経験、ゼロ?」
肩越しに振り返ると、リーナはゆっくり、首を横にふっていた。
「へぇ、あるんだ……初恋、いつだった? あたしは小六だったけど」
「……四年…………」
「相手は先生? 同級生?」
「……クラスメートの…………」
「なにも言えないうちに、終わったんでしょ?」
今度はコクンとうなずいていた。
「やっぱりねぇ」
マコは前に向き直りながら、ウィンドウを開き、ジンジャエールの瓶を取り出した。
「リーナ、なんか飲む? コーラとジンジャエールしかないけど」
「……あります」
リーナはリーナで自分のウィンドウから烏龍茶のミニペットをとりだした。
「とりあえず、さ」
マコは最初から蓋が開いている瓶に、直接、口をつけてグイッと飲んだ。
「もう少し気楽に考えたら?」
「……そういうものなんですか?」
「そういうもんよ。まぁ、あたしもそんなに経験豊富ってわけでもないけど……ほら、人類の総人口が七十億を超えたってニュース、正月に流れてたの知ってる? 日本は一億二千万……だったかな? つまりね、日本だけでも男は六千万、世界全体で三十五億もいるわけ。その中から、たった一人の相手を捜し出すわけじゃない。恋愛ってさ」
彼女は再びグイッと瓶を傾けた。
「でもさ、実際に一生かけて出会える男って、あきれるぐらい合コン繰り返しても一万なんていかないわけ。そりゃあ、道ばたですれ違う人も入れれば、それぐらい軽くいくかもしないけど、恋愛まで発展しそうな男っていったら、三十五億分の一万、もしくは六千万分の一万しかいないわけよ。つまりね、出会いはそれだけで奇跡的な出来事ってわけ。あたしの言ってること、理解できる?」
「……なんとなく…………」
「だったら、わかるんじゃない? 出会いは奇跡なのよ。でも同時に、その気になれば出会いのキッカケなんて、いろんなところに転がってるわけ。矛盾してるかもしれないけど、それが現実。だから、ちょっとでも気に入った相手と出会えたなら、その奇跡を信じるのが健康的ってことにならない? 逆にダメだったぁって思ったら、次の出会いにかけてみればいいだけだと思わない?」
「……そういうもの……なんですか?」
「少なくともあたしはそう思ってる――って、実は友達からの受け売りなんだけどね」
マコは笑った。
「でもさ、その子の言い分、正しいなぁってあたしは思うわけ。だからあたし、ちょっとだけでも好きになったら、それが本当の好きなのかどうか、つき合ってみて確かめたりしてるわけよ。そういうのが受け入れられない子もいるにはいるけど、実際に試しもしないで結論出すなんて、そっちのほうがおかしいと思わない?」
「……なんか、マコさんらしいですね」
「あははは、当たって砕けろの超実践派だってみんなから言われまくってるしね。でも、ウジウジ考えるより、そのほうが健康的じゃない。あんまり悩んでると美容に悪いし、すぐ太るし。あたしってさぁ、太るとお腹にきちゃうんだよねぇ」
その物言いに、リーナは小さく笑った。
マコも嬉しそうに笑みをこぼした。
「そういえば言ってなかったよね。あたし、オフ――じゃなくてリアルか。リアルでコスプレやってんの。リーナ、やったことある?」
「いえ、全然」
「面白いよぉ。そういえばさぁ――」
◆
「………………」
クロウは前触れもなく目を覚ました。噴水が放つ淡い光が天井を照らし、彼の寝床の中もうっすらと灯していた。もっとも、クロウの寝床には、シングルサイズのパイプベッドが置かれているだけだ。そのうえ、唯一のインテリアであるベッドすらクロウは使用していなかった。
彼はベッドの脇に座っていた。石壁に背をあずけ、あぐらをかき、カタナを左肩に押し当てつつ抱きかかえて眠る――それがクロウの就寝姿勢だ。寝床の中だろうと、他の場所だろうと、彼はいつも、その姿勢で眠っていた。
横になるのが恐い――理由を探すなら、そういうことになる。
なにが恐いのか、彼自身も理解していない。ただ、横に寝そべると、息苦しさを感じることがあった。それは喘息の兆候のようにも思えた。医者からは治ったと言われているが、真夜中の発作を忘れることなど、できるわけがなかった。
あれは、地獄だ。
新鮮な空気をどれほど欲しても、咳は止まらず、息を吸うことさえ、ままならなくなる。それはまるで、自分の躰が呼吸することを拒んでいるようでもあった。躰が意志に反し、自らを苦しめているという事実――それは両手が勝手に動き、自らの首を手加減無しに締め上げている状態に近い。
だが、喘息の発作を経験したことが無い人々には、この苦しみと恐怖が伝わらない。
小学生の頃、学校で発作を起こしたことがある。
――大げさじゃねぇの。
誰かがそうつぶやいた。心配してくれるクラスメートもいたが、その一言は、当時の彼の心にグサリと突き刺さった。
自分は理解されない。
躰さえも、自分を裏切る。
こうした思いが、彼を内向的にした。同時に、強烈な対抗心も宿していくことになった。
GAFにのめり込んだのは、裏切りに対する復讐心を、ゲームを通じて解消するという意味合いが強かった。
もちろん、自覚はない。
それでも、高度な操作性を要求する近接格闘にこだわった理由、さらには機体の構造ばかりか人体の構造にまで興味を広げ、これを応用したパーツ製作、機体製作にのめり込んでいった理由は、裏切りの象徴ともいえる「肉体」を自在に操り、もうひとつの象徴である「他者」を凌駕したいと思ったからこそではないか――そう考えることも可能だ。
しかし、クロウはそのことを自覚していない。
それだけに、目覚めてすぐ、彼はリーナのことを思い出し、不快な思いを胸に抱いた。
(なんで……)
彼女を守る――それだけが自分の望みだとクロウは考えていた。
だが、リーナが理解してくれない。
前にも増して、前線に飛び出すようになってきている。
口答えもする。
いや、それは以前からだが、最近のリーナは、反発のための反発をしているようにしか感じられない。それはある意味において正しく、ある意味において間違っているが、クロウの中では反発の意味など、些末な問題にすぎなかった。
「……くそっ」
ムシャクシャがおさまらない。
考えれば考えるほど、どす黒いものが腹の中で暴れ出そうとする。
(それもこれも……)
彼にはもうひとつの不満があった。クリーチャーのことだ。
戦い慣れてしまったせいだろう。最近はウッドゴーレムと戦っても、これという手応えを感じないようになってしまった。あれほど速く思えたトリッキーな動きも、今では下手なダンスを踊っているようにしか見えない。一時的とはいえ、そういう敵に手こずったのかと思うと、違う意味で自分に腹立たしさを覚えるほどだ。
「くそっ…………」
夢中だった頃が懐かしい。
わずか数日前だというのに、圧倒的なまでの恐怖と向き合っていた時が懐かしくて仕方がない。
あの瞬間だけは、何も考えずにいられた。
激痛に耐え、死の恐怖に耐え、退路が断たれているがゆえに、前に進まなければいけなかった頃は……
(早く四階に――)
第三階層にはウッドゴーレムしか現れない。だが、第四階層は違うはずだ。もっと強い、未知のクリーチャーがいるはずだ。敵を見極め、対策をたて、モーションを考え、クリティカルを狙う方法を考え……そんな日々が、再び戻ってくるはずだ。
「――――――」
不意に例の事件ことが思い起こされた。
刹那、クロウはゾクリとするものを感じた。
悪寒かと思ったが、なにか違う気もした。
(あの時も……)
夢中だった。
力量も何もわからない相手との戦いは、頭の中を真っ赤に染め上げてくれた。
生まれて初めての経験だった。
なにも考えられなくなったわけではない。一秒でも早く“敵”を葬り去る方法を瞬時に考え、行動に起こし、すぐに新たな状況を把握して、再び考えると共に行動を起こし――あの時の自分は、クロウという外装を完璧に掌握していた。指先どころか髪の毛一本まで、肉体のすべてが、意志の力で制御されていた感覚さえあった。
再びゾクゾクッとしたものが背筋を走った。
クロウは考えた。
(これって……)
悪い感じが、しなかった。
To Be Contined
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