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Deadly Labyrinth : The Automatic Heart

[28]


 気が付くと、謎のストーンサークルのある部屋に、大の字になって寝そべっていた。
「目覚めたようだね」
 声と共に、逆さまになった黄金の少年の顔がヌッと彼の視界に入ってきた。
「……今のは?」
「“脳内幻想(ブレイン・ファンタズム)”……なんていう呼び方はどうかな?」
「ブレイン……ファンタズム…………」
「限定された座標を、基礎階層レベルから別処理に切り離しただけなんだけどね。でも、そうすると切り離された座標における象徴情報(シンボル・インフォメーション)が初期化(イニシャライズ)され、観察者個人の脳神経系から無制限に情報を吸い上げ、認識を組み上げようとする――その結果、なにが起きるかは、君が体験した通りさ」
「体験……」
「ものすごかったろ? なにしろ主観に応じて世界が変容するんだからね。象徴と認識が正のフィードバックを起こして常に変化する……まぁ、一種の、暴走状態だね。今回は予め、ボクが性的な方向性を与えてから切り離したから、その方面から新しい認識世界が構築されたと思うんだけど――どうだった?」
「………………」
 アズサは目を閉ざし、先ほどの経験を思い出してみた。
 何日間も犯され続け、何ヶ月も若かりし頃の母親を犯していたように思える。いや、そのほとんどを母親の子宮の中ですごした感覚さえあった。だが、黄金の少年の言葉からすると、実際には一瞬の出来事にすぎなかったのかもしれない。
 とりあえず左肩をダブルタップし、ウィンドウを展開してみる。
 プレイタイムから逆算すると、五分と経っていないことがわかった。
(あんなにやりまくったのに……)
 タブーとされることを破りまくった。
 だが、すべて自分の脳とコンピュータが作り上げた幻想にすぎなかったという。
 妄想と同じだ。
 どれほど実感があろうと、あの体験はすべて妄想にすぎなかったのだ。
「……冗談だろ」
 アズサは笑った。
「感想は?」
 黄金の少年が尋ねてくる。アズサは上体を起こし、彼に背を向けたまま尋ねてみた。
「おまえ、本当にNPCなのか?」
「そうだけど?」
「……さっきまでの出来事、本当に幻しなんだな?」
「だから、そうだって言ってるだろ?」
「そうか」
 アズサは顔をうつむかせ、長い吐息をついた。
「……そうか」
「わかったならさ、早く答えてよ。どうだった?」
「そうだな……」
 アズサは訥々と、自らが体験したことを語り始めた。


「参考になったよ。あぁ、ゲーム的なボーナスは加えておいたから、あとで確かめておいてね。じゃあ、頑張って」
 黄金の少年はそう言い残すと、現れた時のように忽然と姿を消した。
 ひとり残されたアズサはボーッと胡座をかいて座り続けた。
 まだ頭がうまく働いてくれない。
 強烈すぎる体験だったせいだ。
 これぞPVの真価。インモラルの極地を行く体験だった。
(でも……最後はママの子宮、か)
 アズサは苦笑した。
 子宮回帰願望――これほどまでに歪んでいる自分でも、結局、すべてを追求した先にあったのは“母親の胎内に戻りたい”という、原始的な願望だったのだ。
 考えてみると、近親相姦願望も、その現れにすぎなかったのかもしれない。
 いや、それ以前に、近親相姦願望が自分の中にあったことが驚きだ。
 どちらかといえば加虐嗜好者(サディスト)で小児性愛者(ペドフェリア)だとばかり思っていたが、自分の中の“小児に対する加虐”とは、母親が見放した幼い頃の自分に罰を与えたいという欲求の現れ、いわゆる代償行為にすぎなかったらしい。つまり、究極的に求めていたのは母親であり、さらに突き詰めれば子宮回帰願望こそ、自分の全てを律するものだったというわけだ。
「……ふぅ」
 全身から気力が抜けていく。
 仮想現実世界に閉じこめられたとわかった直後、アズサはひとつの計画を思いついた。
 自分だけの王国を作る。
 “梓八号”という偽りの立場を手にいれた自分には、簡単に成し遂げられる計画だと思えた。実際、自治会という王国の雛形は簡単に作り出せたし、今朝方、全権を掌握する執行部を設立することも、事実上、了承させた。あとはSHOPを完全な統制下に置き、自分を通さなければフード系アイテムを購入できない状態にすれば、コロシアム中のプレイヤーを支配できる――そのはずだった。
「………………」
 彼は再び大の字になって寝そべった。
 ボンヤリと天井を見上げてみる。
 なにもかも、空しく思えた。自分だけの王国を作ってどうするというのか。
「あっ――」
 不意に何者かの声が聞こえてきた。
 寝そべったまま顎をあげ、ドアの無い入口を見てみると、そこには栗色の髪を肩口まで伸ばした男性外装の魔術師らしいプレイヤーの姿があった。
 ディーリッドを殺した小部屋で顔を合わせてしまった、あのプレイヤーだった。
(……どうでもいいや)
 アズサは顎を引き、無言のまま天井を見上げた。
 頭の中が空っぽだ。
 胸の中も空っぽだ。
 あれほど荒れ狂っていた、世界に対する憎悪や敵意も消えている。
 不思議な感覚だ。
 今なら自覚できるが――松田俊介という人間は、反社会的であることに価値すら見出していた。しかし、その正体は、ママのおっぱいが恋しいだけの赤ん坊と同じだった。そう思い知らさせれてしまった以上、もう彼には笑うことしかできない。松田俊介として過ごしてきた日々も、アズサ八号として経験した出来事も、なにもかもが、薄膜の向こうにある空虚なものに思えて仕方がない……
「あの……」
 栗毛の彼が、恐る恐る声をかけてきた。
「んっ?」
 アズサは天井を見上げたまま声を返した。
「自治会の……駅長さん、ですよね?」
「まぁ……」
「えっと……間違ってたらすみません、あの……あの部屋で会った時なんですけど……その……ボールオブジェがあって……でも、ダークゾーンですし…………」
「殺した」
 アズサは目を閉ざした。
「ディーリッドっていう、うちのパーティーメンバーを殺した」
「――――――」
「頭がどうかしてたんだ。いや、今もどうかしてる。もともとそういう人間なんだろ、俺ってやつは」
 栗毛の彼は黙り込んだ。
 アズサも黙り込んだ。
「あの……」
 再び栗毛の彼が語りかけてきたのは、十数分経ってからのことだ。しかも、声は入口際ではなく、すぐそばから聞こえてきた。顔を向けると、栗毛の彼はアズサの横に正座していた。
「……わたしも、頭がどうかしていると思うんです」
「おいおい……」
「わたし、興奮するんです。殺す時が……」
 栗毛の彼は顔を伏せた。
「クリーチャーを殺す時に、ものすごくゾクゾクして……魔術師なんですけど、トドメはいつもダガーでやってて……そんな自分が恐くて……でも、やめられなくて……」
「……おたく、名前は?」
「薫です。前田薫(まえだ・かおる)。キャラクターネームも“KWORU(カヲル)”っていいます」
「女?」
「……はい」
 中性的とはいえ、明らかに男性外装であるカヲルは恥ずかしそうにうなずき返した。
「ふーん…………」
 アズサは右手を枕に躰を横に向けると、改めてカヲルと名乗ったプレイヤーを眺めた。
「まぁ、いいんじゃねぇの?」
「………………」
「加虐嗜好(サディズム)の一種だろ、それって。たまたま、こういう状況だから目立ってるだけで、現実に戻ったら――」
「リアルでも!――リアルでも、そうなんです。わたし、大学の帰りに野良猫とか、野良犬とか見ると、無償に蹴りたくなったり、カッターナイフで切りたくなったり……」
「代償行為だろ」
「…………」
「それに、危機感はあるんだろ、これだとマズイって感覚。だったら俺よりマシさ。俺なんか、自分がサドのペド野郎だってことさえ認めてなかったし、実はマゾのマザーファッカーで、単なるマザコンだったってことも、ついさっきまで気づいてなかったし」
「――えっ?」
「誰だっていろいろ、やばいところ持ってるってこと。まぁ、俺なんかに相談するより、他の良さげな連中、探したほうがいいぜ。俺なんか変態の百貨店も同然だし。今だって、あんたの中身が女だって聞いて、外装は男なのに勃起してんだぞ。呆れるだろ」
「そうなんですか?」
「いや、そこは真顔で聞き返すところじゃないだろ」
 カヲルはクスッと笑った。
「いい人ですね、駅長さんって」
「いい人? 冗談。リアルの俺、三十路過ぎのヒッキーだぞ、ヒッキー」
「私も二十歳のデブヲタです。こういう外装、使ってますけど」
「あぁ、外装だったら俺のほうが上。リアルなんか、ガリガリの骸骨みたいなくせに、こんな外装、使ってんだ。もう、コンプレックスありありだろ」
 その時。
「あれ?」
 第三の人物が濃霧の向こうから姿を現した。今度は重装備の女性外装だった。


「――つまりPVには無限の可能性があるってことだ」
 いつしか九名に増えていたプレイヤーたちは、熱心にアズサの話に耳を傾けていた。
「俺はたまたま、ゲーム的な仕掛けとして“欲望の開放”を体験したわけだが――あれは強烈すぎる。考えても見ろ。子宮回帰願望なんていう、人間の本質的欲求がそのまま満たされてしまうんだ。それが終わった時の空虚感といったら……」
「でも、わたしは経験してみたいです」
 声をあげたのは、一番熱心に話を聞いているカヲルだった。
「自分の本当の欲求にも興味があります。きっと私は――」
「いや、やめとけ」
 アズサは首を横にふった。
「あれはボディーブローみたいに、あとからどんどん利いてくる。俺みたいに最初から異常なヤツだけだ、耐えられるのは」
「でも――」
「いや、おまえはまだ正常だよ。危ないところがあるにせよ、そいつを実行に移したわけじゃない。俺は――俺は三十路をすぎてもヒッキーだし、ここに来て、人も殺した。それもただ殺したわけじゃない。いたぶりまくったうえに殺したんだ」
「でも…………」
 カヲルは顔をうつむかせた。
 アズサは苦笑する。
「そう落ち込むな。だいたい、似たようなことは、今も経験してるところだろ」
「――えっ、今ですか?」
「変身願望の充足」
「あっ……」
「特におまえの場合、異性への変身だからな。異性外装を選択したって時点で、なんらかの心の動きがあったはずさ。それに……あれだろ、やったことあるんじゃないのか?」
「……はい」
 具体的な行動を明示されなくとも、カヲルにはアズサの言いたいことが理解できた。
「最初の日に……しました…………」
「みんなもそうだろ。もちろん、俺もそうだが」
 すると、
「僕もです」「私も」「俺も」「あたしも」
 と、他のプレイヤーたちも次々と声をあげた。
「でも、あれだろ。終わったあと、空しさが残ったはずだ。違うか?」
「あっ――アズサさんが感じた空虚感、あれが数百倍に大きくなったものなんですか!?」
「数億倍だな。生きていること、そのものが空しく感じられるほどだ」
「そんなに……」
 誰もが言葉を失った。
 だが、アズサは苦笑を浮かべたまま、
「問題はそこじゃない」
 と本題に切り込んだ。
 キョトンとする一同。代表してカヲルが尋ねる。
「問題……ですか?」
「あぁ。今はこういう状況だから問題になっていないが……考えてみろ。PVは、その気になれば、どんな欲望でも開放できる魔法の道具だ。俺のように完璧に壊れているやつならまだしも、半端に壊れている人間にとっては……恐いぞ、こいつは」
 アズサは目を閉ざした。
「その気になれば別人に変われる。異性にだって成り放題。年齢だって自由自在。そもそも、人間に固執する必要もない。人間の脳ってやつは意外と柔軟だ。個人差もあるらしいが、たとえば上下が逆さまに見える眼鏡をかけた時、しばらくの間は目で見える映像と現実とのギャップに苦しむことになるが、脳が勝手に処理系統を変えてくれて、必要な情報に対応する状態へと変えてくれるらしい。だとしたら、犬や猫の外装を使っても制御できるだろ。鳥や魚みたいな、人間から大きくかけ離れた外装だって扱えるはずさ」
「動物にも……」
「あぁ、なんにでもなれる。樹になることも、水になることも、風になることも、蟲になることも、剣になることも、家になることも――プログラム的に“なれる”と設定しさえすれば、なんにだって変身できる。一見、素晴らしいようにみえて、こいつはとんでもないことだぞ」
「そうでしょうか?」
「仮想は仮想だ。現実じゃない。現実に戻った時とのギャップがすごいことになる」
「あっ……」
「VRN社の連中、そこまで考えていなかったんだろうな。それとも、性的な要素を排除しさえすれば、大きな問題にならないと考えているか……どっちにしろ、PVは特許出願、されちまってる。特許が出ているってことは、特許料さえ支払えば第三者が作れるってことだ。そうでなくても海賊版が作られる。そりゃあ、資金が必要だろうが、金になるとわかれば資金なんて簡単に集まるもんだ。性的な部分が解除されたやつも必ず出回るだろうな。そうなったら……」
 誰かが生唾を飲み込んだ。
 アズサの言わんとしていることに、気づき始めたからだ。
 彼は告げた。
「俺たちは時代の先端に立ってる」
 九名のプレイヤーは真剣な表情でアズサの言葉に全神経を注いだ。
「歴史上、人間性をここまで開放できる道具、存在した試しが無い。古代ギリシアの哲学者たちは、人間とは肉体の檻に無限の可能性を秘める魂が閉じこめられた存在だって考えていた。だとしたら、魂を開放する道具こそ、このPVだ。そして、無限ということは光もあれば闇もある。強すぎる光に焼かれてしまうか、底なしの闇に飲み込まれるか……果たしてPVという道具が、人類になにをもたらすのか。もしかすると俺たち全員、そんな壮大な実験に巻き込まれた可能性すらある」
「もしそうなら……」
 カヲルはクッと太股の上で両拳を握りしめた。
「わたしはアズサさんが見たものと、同じものを見てみたいです」
「俺も!」
「私もです!」
「僕も!」
「あたしも!」
 残る八名全員がカヲルの言葉に賛同した。
「……本気か?」
 アズサは目を閉ざしたまま尋ねた。
「はい!」という九つの声が同時に発せられた。
「わかった」
 アズサは躰を起こし、あぐらをかいた。
「最初に言った通り、俺はここでNPCに会った。どうやらここが第一チェックポイントってやつだったらしい。もっとも、最初に俺がたどり着いたのは、ここに全部で十人いることを考えれば、単なる偶然にすぎなかったと思う。いや、カヲルのおかげだな。俺が人殺しだって見抜いてくれなきゃ、おまえを追いかけて霧の中に飛び込まなかったしな」
「そんな……」
「あらためて感謝する。ありがとう」
 アズサはカヲルに頭をさげた。
「おかげで、ひとつだけ“力”を手にいれることができた」
「――えっ?」
「言ったろ。NPCからボーナスを貰ったって。経験値と資金と――スキルだ」
 彼は立ち上がり、カヲルのそばに向かった。
「スキルの名は――」
 彼はカヲルの傍らに片膝をついた。
「――“ブレイン・ファンタズム”」
 途端、室内が一瞬だけ明滅した。もともとの室内の光源は、ストーンサークルが放つの淡い光である。それが明滅したのかと誰もが感じたが、突如、カヲルが自らを抱きしめ、前のめりに倒れたことで違うのだとすぐに悟った。
「落ち着け」
 倒れかけたカヲルを、アズサがしっかりと抱き留めた。
「落ち着いて良く聞け。それもまた、自分だ。まだ先がある。おまえはまだ、本当の自分と向き合う最初の一歩を踏み出しただけだ」
「ア……アズサ……さん…………」
 カヲルの声は途切れ途切れだ。
 アズサは、そんなカヲルをゆっくり横たえながら優しく語りかけた。
「少し横になれ。そしてゆっくり考えるんだ。否定するなよ。全部、肯定しろ。おまえならできる。おまえは俺と同じ、壊れたところがある人間だ。わかるな。壊れていることに、引け目を感じるな」
「……はい」
 カヲルは力無く微笑み、ゆっくり目蓋を閉ざした。
 彼女が落ち着いたのを確認したアズサは、改めて残る八名に視線を向けた。
「カヲルが見たものと同じものを見たいか?」
 八つの声が返ってきた。
 もちろん、そのいずれも「はい」というものだった。


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