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[14]
クロウは二つの矛盾する恐怖と戦っていた。
「……うぉおおおおおおお!」
腹部に突き刺さるウッドゴーレムの腕を渾身の力で引き抜く。
「マサミ! クゥにキュア!」
左手からリーナの声が響いてきた。だが、気に掛けている余裕など無い。
目の前に敵がいる。
自分を殺そうとしている、敵がいる。
恐い。逃げたい。このままコロシアムまで逃げ帰り、片隅で膝を抱えて震えていたい。
自分は十五の子供だ。逃げ隠れしたところで、責められる言われなど無い。
そうだ、逃げ出せ。今からでも遅くはない。逃げてしまえば、いずれ誰かがゲームをクリアーし、現実の世界で目覚め、姉が力強く抱きしめてくれるはずだ……
「コールマジック、キュア!」
マサミの声が第三階層の通路に響き渡った。
クロウの全身が淡い光に包まれる。
冷え切った体にガソリンが注がれた。
激痛も消える。
すべてが嘘であったかのように消え去る。
途端、クロウはウッドゴーレムという目の前の脅威を正確に意識した。
逃げれば殺される。
背中から攻撃される。
倒すしかない。
倒さなければ倒される。
殺されなければ、殺される。
姉とも永遠に再会できなくなる。
レイスに指摘されるまでもない。クロウは自分がシスコンであることを自覚していた。
――パパとコゥちゃんをお願いね。
亡き母の遺言は、姉・幸恵に向けられたそんな言葉だった。
だからだろう。幼かった幸恵は子供としての時間を全て弟の世話に費やし続けた。
幼稚園の送り迎え。
毎日のお弁当。
コンビニの店長を勤める父に代わり、掃除や洗濯なども全て引き受けていた。
そんな姉に反発したこともあった。気恥ずかしさから憎まれ口を叩くこともあった。だが、嫌いになったことは一度も無い。それどころか、父が再婚し、家事から解放されるが早いか、あっという間に学業でも成果をあげ、軽々と国立大学に進学した姉を誇らしくさえ思っていた。
そんな姉に心配をかけるわけにはいかない。
一日も早く帰らなければならない。
そのためにも、魔術師ワーグナーを倒さなければならない。
だが、第十階層まで降りるには、彼自身が強くならなければならない。命を賭け、クリーチャーと戦い、これを退け、奥へ、奥へと進まなければならない……
戦闘は恐い。
死ぬ可能性を考えると理屈抜きで体の芯が冷える。
もちろん、“謎の声”の言葉がすべて真実とは限らない。だが、負傷した時に感じる激痛は、その延長線上に“死”が待ち受けていることを直接的に主張している。
それでも――
(――くそっ!)
体が自然に動き始めた。攻撃意志を《システム》が認知したのか、それとも無意識的に攻撃動作を外装に指示したのか、クロウには判別がつかない。判別しようとも思わない。
クロウは飛び退き、左手を前に突き出しつつ、半身になってウッドゴーレムを睨んだ。
照準がウッドゴーレムの胴の継ぎ目に出現する。
同時にクロウは、《システム》がもたらす“全身が引っ張られる力”を感じた。
(違う!)
《システム》はクロウの両足を地に結びつけたまま、腰の重心を前に進めると同時に右手のブロードソードを真横に一閃させようとしていた。
だが、それではまずい。
目の前のウッドゴーレムの向こう側には、さらに一体、別のウッドゴーレムがいる。このまま剣を振り抜くと、もう一体のウッドゴーレムが攻撃後の硬直につけ込んでくる。
プロ野球のバッターはバットを振っても一回転しない。それはバッティングという一回の完結した行動に際し、ヒッティングの瞬間に全ての力が最高値を叩き出す“最適解の動き”を心がけているからだ。ゆえにバッターは練習の時も、必ずスターティングポジジョンに戻り、そこからバッティングという最適解の動作を繰り返すことで調整をかけていく……
《システム》は常に一回ごとの“最適解の動き”しか導き出さない。
ゆえに攻撃直後の硬直時間が生じる。
再始動するまでのわずかなタイムラグ――それは時に致命的な“隙”になりえる。
だからこそ、クロウは《システム》がもたらす“最適解”をわざと崩そうとした。例え十の力を引き出せなくとも、“隙”を作らず三の力を出せるなら、それに越したことはない。あの“最初の日”、ゴブリンで埋め尽くされた通路で戦い続ける中で、クロウはそのためのコツも身につけていったのだ。
「――んっ!」
クロウは全身に力を入れ、アシストそのものを拒んだ。だが、全てを否定しない。足腰の動きを生かし、目の前のウッドゴーレムの胴に向け、肩からぶつかっていく。
途中から照準が胴の継ぎ目の上にスッと移動したが、それを確かめるよりも早く、クロウはショルダータックルをぶちかました。
いくら“グラップル”スキルをセットしているとはいえ、“ワンハンドソード”に比べるとスキルレベルもまだまだ低い。与えるダメージは微々たるものだ。それでも回避しようと側転しかけていたウッドゴーレムは面白いように吹き飛ばされていった。
直後、背後にいたもう一体のウッドゴーレムが上体をグルリと一八〇度回転させながらピンと伸ばした両腕でクロウの体を横になぎ払おうとしてくる。
クロウはイメージした。
ウッドゴーレムの各パーツと二つの照準から軌道を予想、自分の身体を骨格のみで形成されたスケルトンフレームとして捕らえ、攻撃をかいくぐった自分が、相手の腰の接合部を両断する一連の動画を想像した。
かかった時間はコンマ数秒以下。
イメージと同時にクロウの体は《システム》のアシストを受けた。
《システム》は彼のイメージという認識通りに動きをアシストした。左足はさらに前に踏み出され、その膝に胸を付けるように身を伏せる。直後、クロウの頭上をウッドゴーレムの腕が通過していった。と同時に、クロウは体を起こし、腹と太股で挟み込んでいた右腕を力いっぱい、真横に振り抜いた。
その際、クロウはあえて余計な力を右腕に込めた。
今度こそブロードソードは左から右へと振り抜かれていく。
――CRITICAL HIT
クロウの耳元にシステムメッセージが響いた。
ウッドゴーレムの体は、胴の接合部から上下二つに切り離される。
だが、クロウはそれを確認するよりも早く、余計に込めた力の勢いを使い、そのままクルリと左足を軸に反転した。
視線の先には別のウッドゴーレムがいる。
ピピッというロックオンされたSEが聞こえた。
(今度は――!)
クロウは視線を走らせ、敵と味方の位置関係を把握。三つの攻撃からなる一連の動画をイメージしてみる。
かかった時間はコンマ数秒。直後、彼の体は動き始めた。
果たして《システム》のアシストが先なのか、それとも運動信号が先だったのか、クロウ自身にも判別がつかない。
だが、これだけはハッキリしている。
恐怖が消えている――
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