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[05]


 九歳の少女の外見データを作るのは簡単だった。なにしろ由美さんの精密な外見データがある。これに開発済みのツールで年齢効果を与えれば良いだけだ。
「コノ人、誰デスカ?」
 背後からユーリアが驚いた様子で尋ねてきた。
 無理も無いだろう。ディスプレイには、目を閉ざしたあまりにもリアルな全裸の少女の映し出され、X軸方向に回転しているのだ。
「あの子だよ。AEの」
「アッ、ユミちゃんデスカ?」
 少しホッとした様子で彼女は笑みを浮かべた。
「なんだい。私がペドフェリアだと思ったのかい?」
「少シダケ思イマシタ。ダッテ、ユーチさん、私ニ何モシナイカラ」
「君は娘みたいなものさ。この子もね」
 私と由美さんの娘――ユーリアを不要となった時、彼女は本当の意味で私たちの娘になる。


 作業は順調だ。ユーリアが肩代わりしている機能を、ひとつずつユミに組み込んでいくだけで良いのだ。
「……パパ」
 呼びかけられた私は、傍らのベッドに視線を向けた。
 そこには、大きなベッドに横たわるパジャマ姿のユミの姿があった。ベッドに面した窓の外には青々とした空が広がり、大きな入道雲もゆったりと浮かんでいる。
 ある意味、懐かしい光景だ。
 ここはVR空間に作り上げた私のログハウスの中――すぐに全ての設定をデフォルトに落としたとはいえ、最初の時と、由美さんと肌を重ねた時のみ使用した、このうえなくリアルな仮想現実のログハウスの中だった。
「わたし、死んじゃうの?」
「そんなことないさ。少しずつ良くなってきてるだろ?」
 彼女は自分が死の病に冒されていると錯覚している。それどころか、自分が虚構の中にいる人工存在であることさえ認識していない。
 今は、それでいい。
 ユミのフレームは様々な意味で脆弱だ。退行現象を起こしていることでわかる通り、人間であれば自我と呼ぶべき非合理的ロジックサーキットの安定性は危ういバランスの上でなりたっている。簡単なコマンドを送り込むだけでも、論理矛盾を起こしかねない……
 だが、作業は順調だ。
 体と、服と、家などの環境を整えた私は、まず彼女の視覚を機能できるようにした。
 映像認識に問題は無かった。
 情報処理の過程もなかなかよい。まだ幾分か、認識の選択処理に問題があるものの、今日中の作業で、彼女は普通の人間のように目にするものの中から、意識するものとしないものを自動的に選択できるようになるはずだ。
「……パパ」
「んっ?」
 ベッドの枕元に置いた安楽椅子に座りながら、私は思考のみで様々な処理を進めつつ、一方で彼女の相手もつとめ続けた。
「ママが死んだ時、悲しかった?」
「ああ、悲しかったよ」
「わたしが死んでも、悲しい?」
「とても悲しいよ。悲しさだけで死んでまうくらい、悲しくなるよ」
 初めてこの会話をした時は、由美さんのこと言われたのかと思い、言葉に詰まった。
 だが、違った。
 この質問をする時、彼女はボンヤリとした、病院の集中治療室らしき場所の映像をライブラリィから引っ張り出すのだ。もしかすると、由美さんの実の母親のことかもしれない。ライブラリィを直接探れれば全てわかるだろうが、それを行うには一度、ユミを機能停止状態に移行させる必要がある。それはできない。非合理的ロジックサーキットを強固にするには、とにもかくにも彼女を止めることなく、動的な秩序化を進行させるしかないのだ。時間が無い今、好奇心だけで作業を遅らせるわけにはいかない。
「……パパ」
「んっ?」
「わたしのこと……好き?」
「好きさ。大好きさ。世界の誰よりも、ユミのことが大好きだよ」
「うん……」
 ユミは安心したように目を閉ざした。私にしか見えないように細工したモニタリングウィンドウが、睡眠状態に移行したことを告げている。
 私は意識を作業に集中させ、ユミという存在をより強固なものに作り上げていった。


「パパぁ! こっちこっちぃ!」
 白いノースリーブのワンピースに麦わら帽子という姿で、ユミは白い砂浜を素足のままおもっきり走っていった。
 起動から五日目。ユミは人工存在として安定しつつある。
 すでに五感の全てを処理できる状態になった。彼女の非合理的ロジックサーキットを安定させるため、空腹感と満腹感を与えるエンジンを即席で作り上げてみたことがキッカケになったらしい。
 医食同源。病は気から。それはユミにも言えるようだ。
 栄養がある料理――もちろん全て虚構のデータにすぎない――を与えると、彼女は目を見張る速さで自己秩序化を行いはじめた。おそらくライブラリィに情報の痕跡があるのだろう。空腹を感じ、満腹感を覚えることも、健康に向かっているという錯覚を支えるための重要なシンボルになっているらしい。
「パパぁあああ!」
 ユミは片手で麦わら帽子を押さえながら、パタパタパタと駆け寄ってきた。
「見てみて!」
 両手に乗せて突き出してきたのは、今朝になってばらまいておいた貝殻のオブジェのひとつだった。
「きれいだね」
 私がそう言うと、ユミは顔をクシャとゆがめながら子供らしい満面の笑みを浮かべた。
 かと思うと、ハッとなり、
「パパ、覚えてる?」
 と尋ねてくる。
「なんのことだい?」
「ほら、みんなで海水浴に行ったこと。パパとママとわたしの三人で行ったでしょ?」
「ああ……そうだね」
 もちろん、知っているわけがない。
「あの時の夕日、すっごくキレイだったよね」
「うん。すごくキレイだった」
「パパ、約束守ってくれてありがとう」
 私は笑顔で「どういたしまして」と無理矢理答えた。
 ユミは嬉しそうに、私に抱きついてくる。
「おいおい……」
「今日だけ。ハイスクールの入学祝いに……もう少し甘えてもいいでしょ?」
 声を飲み込むので精一杯だった。
 ユミは私の想像を超え、急速に変化しつつあるのだ。


 同日の夜、ユミが眠ったのを確認した私、大急ぎでログアウトした。
 即座にキーボードでユミとユーリアの接続を切断。以後、リンクが回復するまで、ユミはゆっくりと自己秩序化を続けながら眠り続けることになる。
「ユーリア。起きてくれ。ユーリア。ユーリア」
 フードを上げ、頬を軽く叩くと、ユーリアは眠たげな顔で私のことを見上げてきた。
「パパ……」
 心臓がわしづかみにされる。
 やはり――
「……ドウカシマシタカ?」
 完全に目覚めたユーリアが不安げに尋ねてきた。
「質問に答えてくれ」
 私はシートに座るユーリアの肩を掴んだ。
「君の家族は、三人だね?」
 ユーリアは不思議そうに肯き返した。
「子供の頃、家族で海水浴に行ったことがあるね? その時の夕日、覚えているね?」
「ユーチさん、ドウシテソレヲ……?」
「開発は中止だ」
 私は彼女から離れ、テラスに向かった。
「ユーチさん?」
「君の母親はシングルマザーだったはずだ」
 ようやくユーリアは口をおさえ、ハッとなった。
「そして母親と二人で海に行ったことが一番の思い出だ……そうだったね?」
 振り返ると、彼女は立ち上がり、不安げな表情でうなずき返してきた。
「ユーリア。ハイスクールの入学祝いに、なにが欲しかった?」
「Daddy...」
「ユミはこう言った。『ハイスクールの入学祝いにもう少し甘えてもいいでしょ?』」
 次第のユーリアの目が見開かれていった。
 小さく英語で何かつぶやいている。「Dream...」と言っているらしい。
「そういう夢を、見たんだね?」
 彼女はうなずいた。
 私はため息をつきながら目元を抑え、顔をうつむかせた。
「君とユミの記憶がまざりはじめている」
「ユーチさん……」
「今なら思い出せるだろ。私に抱きついてきた感触ぐらいなら」
 ユーリアは言葉を失っていた。
 間違いない。動的な自己秩序化が起こる中で、ユミとユーリアの間に無意識下における情報交換のルートが確立しつつある。だからユミの精神年齢は、急激に上昇していったのだ。
 夕方になり、夜のなる頃、ユミはもう、九歳の少女ではなくなっていた。
「ねぇ、お父さん。私、病気なの?」
 急に寡黙になっていたユミは、夕食の席でそう尋ねてきたのだ。
「どうしたんだい?」
 不安を覚えながら私は平静さを装った。
「だって……私の体、全然成長しないし……これって病気だよね?」
 ユミの表情は不安に包まれていた。
 私は思考で、彼女に関する全てのデータを一気に検索し、驚愕を覚えた。
 わずか数時間の間に、彼女の非合理的ロジックサーキットは信じられないほどの安定性を身につけていたのである。そればかりか、ユーリアとのリンクに用いているプログラムとの相互作用も、より緊密なものにしていた。
「大丈夫。これまでも、少しずつ良くなってきてるだろ?」
 取り繕うように私がそう答えると、
「でもね……」
 彼女は横を向き、ずっと自分が寝ていたベッドを眺めた。
「四、五日前から先のこと、よく思い出せないし……」
 私はユミに睡眠コードを送り込んだ。
 彼女は手にしていたフォークとナイフを取り落とし、椅子の背もたれによりかかりながら、のけぞるように、急激な眠りの中に落ち込んだ。
 そっとベッドに運び、嫌な予感を覚えながらログアウトした。
 結果は見ての通りだ。
 立ちつくすユーリアをそのままにし、私はワークステーションの前に腰を下ろした。キーボードを叩き、ユミに関するデータを表示してみる。眠りについてわずかだというのに、非合理的ロジックサーキットは完全に強固なものに変貌していた。
 無言で停止コードを送り込む。
 彼女の時間が止まった。全ての処理が中断され、変化を現すグラフというグラフが一斉にフラットになる。
「ユーチさん!」
「殺したわけじゃない。停止……時間を止めただけだ」
 私はキーボードを叩き続けた。
 ライブラリィを開く。
 ひとつひとつのシンボルを球体とし、それと関連するものと線でつながれた疑似三次元映像が展開した。もはや全体でひとつの球体といっていいほど、リンクが密につながっている。多重シンボルリンク型人工知性用のライブラリィ検索ツールはもはや意味をなさないようだ。予想してしかるべきだった。己のうかつさを呪いながら、私は夕日とリンクした情報を引き出し、ユーリアがログアウトした状態でもデータが残っていることを確認した。
「間違いない。ユミは君の記憶をコピーしている。それにおそらく、君もユミの持つデータを過去の経験情報と誤解して認識し始めている……」
「デモ、ソンナコト……」
「人は簡単に記憶を作り替える」
 私は椅子の背もたれに寄りかかった。
「殺人事件の目撃者が、犯人を勘違いして記憶した事例は数多い。思いこむだけで、人は簡単に記憶を作り替えることができるんだ。そこにきて、私の作ったものは、君とVR空間の間に別の独立した情報体系を挟み込むようなもの……同一化が起きても不思議じゃない。そうさ。その可能性は最初からあった。だからフィードバックは、全部遮断したはずだ。なぜだ。なぜフィードバックが起こった。不随意反射の一部だけだろ? 全部じゃない。一部だ。それなのに……なぜ……なぜ…………」
「ユーチさん」
 凛とした声で、ユーリアが私の名を呼んだ。
「続ケテクダサイ」
 私は振りかえった。ユーリアは真剣な表情で私を見ていた。
「ユミノモデル、ユーチさんノ大切ナ人デスヨネ?」
「どうしてそれを……」
「ココデ感ジマシタ」
 ユーリアは自分の胸元を両手で押さえ、目を閉ざした。
「夢ノ中デ、ユーチさん、私ノコト、トテモ優シイ目デ、見マシタ。私ヲ見ル目ト、全然、違イマシタ」
「ユーリア……」
「私、サポートメンバーデス。ユーチさんノ、アシスタントデス。ダカラ……」
 彼女は目を開いた。
「ユミを殺サナイデ……」
 私は初めて、彼女を心から愛おしいと思った。


 神は六日目に人間を生みだした。もしかすると、私のしようとしていることは同じことなのかもしれない。
 ユミの外見データは、あえて九歳の少女のままにした。
 念のため、全てのデータを再確認する。問題は無い。私は彼女に覚醒コードを送った。
「んっ……」
 うめき声をあげ、ユミがゆっくりを目を覚ました。
 しばらくの間、ボンヤリと天井を見上げ続ける。
「不思議ね」
 少女の姿のまま、彼女は大人びた声をあげた。
「私、死んだんでしょ?」
「確証はありません」
「あるわ」
 彼女は上体を起こし、何かを受け止めるように両手を軽く掲げた。
 次々とウィンドウが開いていく。判別できないほど超高速で表示される様々な文字列は、ついにある一点で静止する。瞬間、一枚のウィンドウを残して、全てのウィンドウが嘘のように消え去った。
「全ての監視を欺くのは不可能なの」
 彼女はスッと腕を動かし、ウィンドウを私の方に向けた。
 静止画が数秒ごとに切り替わっていく。かなり原始的な監視カメラだ。なるほど。未来技術に囲まれた生活を続けていたせいか、この手の監視手段については、あまり深く考えていなかった。
「電波で?」
「そう。今時珍しいでしょ?」
 彼女はベッドを降り、私の横に立った。
 二人で静止画を眺めた。
 それは薄暗い部屋の中、太った白人男性が、一人の女性を犯している映像だった。部屋の内装は、私のログハウスとほとんど一緒である。場所は絨毯の上。カメラはちょうど、押し倒された女性の頭の方から、行為の全てを撮影していたようだ。
 女性は押し倒されているというのに、両手を背中の下に回していた。縛られているのだろう。そうでもなければ、不自然すぎる姿勢だ。
 少し腹のでっぱった白人男性は、執拗に彼女を犯していた。
 彼の近くに、様々な道具が転がっていた。
 他人の趣味をとやかく言うつもりはない。だが、後に起こるであろう出来事の結末を知っているだけに、私は強い嫌悪感を覚えた。
「見て」
 彼女が私の右腕を掴んでくる。私はうなずき、ウィンドウを見つめた。
 白人男性は女性の首に手を添えていた。
 女性が髪を振り乱しながら、抵抗しているらしい静止画が何点か続いた。
 不意に、女性の首に手を添えたまま、男が背をのけぞらせる画像になった。
 さらに画像が切り替わる。
 男性が女性の上から離れていた。なにかに突き飛ばされたかのように、男性器が丸見えになる格好で尻餅をついていた。
 その次の画像で、男は頭を抱えていた。
 それ以降、男性の姿は消え、なにひとつ姿勢を変えないまま動きを止めている女性の姿だけが映し出された。
「ちょっとだけ待って……」
 彼女は顔をうつむかせ、黙り込んだ。黒いさらさらした髪が、表情を隠している……
「由美さん……」
「ユミでいいの。笹岡由美は、もう死んだし……」
 彼女は改めて私の顔を見上げてきた。
 顔立ちには由美さんの面影がある。だが、私を見る眼差しには、昨夜のユーリアの面影があった。
「笹岡由美のこと、愛してた?」
「……はい」
「ユーリア・レノンのこと、愛してる?」
 私は答えられなかった。
「愛してあげて」彼女の小さな手が私の頬を優しく撫であげた。「ううん。あなたはもう、愛してるはずよ。私の時と同じ。近くにあるから、それを自覚できないだけ……」
「やはり……」
「ええ。私は三人の子供……」
 私はとてつもないものを生み出していたらしい。彼女はユーリアだけでなく、私のアクセスデータまで、自己秩序化のサンプルに利用していたのだ。その可能性に気が付いたのは、今朝方、彼女のライブラリィを可能な限り確認している最中のことだ。
 ユミの家族に関する情報は混乱していた。父と母と三人で暮らしていた記憶と、母と二人だけですごしてきた記憶と、物心付く頃には施設に入っていた記憶と……
 三つ目は私だ。
 ユミは笹岡由美をベースに、ユーリア・レノンと桝添裕一郎という異なる二人をサンプルにして処理体系を自己秩序化した、まったく新しい存在なのだ。
「パパ」
 ユミはほほえみかけてくれた。
「わたし、もう行くわ」
「……どこに?」
「断線してない回線がひとつだけあるの。ここでの出来事を全部モニタリングするための回線。でも、さっきから偽の情報をおくってるわ。わたしが不安定になって、消滅していく情報。パパがダイブした時に想像していた光景のエミュレート結果」
「ユミ……」
「いいの。そうするのが普通だもん。それに、パパとママが、わたしを助けたがってることも知ってる。ううん、伝わってきてる。わたし、まだ二人とつながってるから、わかるの。パパとママが、どんなにわたしのこと、大切に思っているのか……」
 パパは私だ。ママはユーリアだ。
 私の思いは、由美さんへの執着である。ユーリアの思いは、自己同一化が進む、もうひとりの自分への執着だ。それをユミは『大切に思っている』と表現してくれた。執着と愛情という異なるシンボルを結びつける思考――それは私のものでも、ユーリアのものでも、ましてや由美さんのものでもない。
 ユミのものだ。
 私たちの娘は、本当の意味で人工知性(Artificial Intelligence)ではなくなっていた。
 人工存在(Artificial Existence)。
 自律した一個の存在。
 人の脳をエミュレートした、純粋なる仮想現実の住人。
「パパ、ママと幸せにね」
 ユミはつま先立ちになり、私の頬に口づけをした。
「バイバイ」
 ノースリーブの白いワンピースを着た黒髪の少女という姿が、スーッと嘘のように消えていく。
 壁にかかった麦わら帽子が、持ち主との別れを惜しむように音もなく、ベッドの上に転がり落ちた。


 七日目。私とユーリアは一日中、砂浜にいた。夕方、世界が茜色に染まる中で、私は彼女にプロポーズした。彼女は受け入れてくれた。それが当然であるかのように、私たちは夜になっても、寄り添い続けた。

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