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ONLINE : The Automatic Heart

[03-04]


 最初、俺もリンも、ノックを聞き流していた。だがコンコンッという音と共に、
――すみませーん。ちょっとお話しがあるんですがー。
 という声がドアの外から聞こえてくると、俺たちはすぐ、顔を見合わせた。
「アンチ?」とリン。
「わからん」と俺。
 リンはすぐにカードをまとめだした。セットカードも後回しだ。
「とにかく変装」
 席を立った俺は、そう告げつつリンに背中を向け、その場で変装用の装備を身につけていった。変更の瞬間、下着姿が見られたかもしれないが、俺は男なのでそれほど気にならない。
 背後ではヴォイスコマンドでカードを収納したリンが、キャンプ機能も終了させていた。
 リンも席を立ち、「コール」とつぶやきながら変装を開始する。
 数秒待つ。
「いいか?」
「もうすぐ。応対して」
「了解」
 全身甲冑姿になった俺は、なおもノックが続いているドアに歩み寄った。
 ちなみに居留守は使えない。カウンターにいけば、空室の有無はもちろんのこと、入室しているかどうかも確認できるのだ。
「すみませーん」
 近づくと声がハッキリと聞こえた。俺と同世代っぽい男の声に聞こえた。
「はい」
 俺はドアを閉じたまま、声をあげた。
 すると謎の訪問者は、安堵の声を返してきた。
「よかった……あっ、すみません。今日からこの宿を借りることになった者です」
「すみません」
 と俺は苦笑まじりに言い返した。
「ちょっとたて込んでいるんで、挨拶はまたの機会にしてもらえませんか?」
「お忙しいところ申し訳ありません。少しご相談したいこともありますんで、お時間ができましたら、お声をかけていただけませんか?」
 おい。俺の話、来てるのか?
「いつでもかまいません。仲間が外にいますから、誰かに声をかけてください」
 相談? 仲間?
「……わかりました。では後ほど」
「どうもすみません」
 訪問者はそう言い残してドアから離れた。
「どいて」
 メイド服に着替えたリンが、俺を押しのけ、ドアに耳を貼り付けた。
 一歩下がった俺は、しばらく待った。
「大勢いるわ」
「人数は?」
「わかるわけないでしょ。階段の音と……あっ、建物の前で誰か笑ってる。けっこういるみたい」
 ドアから耳を離したリンは、俺を見上げてきた。
 と、リンは顔をしかめた。
「その兜、なんとかなんない?」
「んっ? 選んだの、おまえだろ?」
 俺の変装衣装はすべてリンが選んだものだ。だが、選んだ本人はご不満らしい。
「あんたがどこ見てるのかわかんないのよ。なに考えるのかもわかんないし」
「……変装用だぞ?」
「いいから、今は兜ぐらい脱いでよ」
 わけがわからなかったが、俺は言われた通り、兜を収納した。
「これでいいか?」
「うん。で、どうする?」
 リンは真顔で尋ねてきた。
「どうするもこうするも……」
 俺はガチャガチャと腕を――組むことができず、左手を腰にあてた。
「面倒だ。別の宿、探したほうが早いだろ?」
「そりゃあ……でもさ」
 リンは窓に目を向けた。
「ここから見る夕焼け、最高なんだけどなぁ」
 本格始動以降、各中枢都市では昼夜も再現されるようになった。
 ゲーム内の1日は8時間でひと巡り。メンテを終えた午前9時が日の出、4時間後の13時(午後1時)が日没、17時(午後5時)が2回目の日の出で、21時(午後9時)に2度目の日没を迎え、翌日の午前1時に3度目の日の出、午前5時に日没を迎え、ゲーム内で夜のうちにメンテ時間に入る――そんな感じだ。
「そっかぁ……あれも見納めかぁ」
 俺も西側を窓を眺めてみた。
 あの窓から見える光景が最高になる時間は、もうまもなくやってくる。
 夕暮れ時だ。
 偶然見つけた宿だったが、リンが適当に選んだ2階の角部屋は、夕陽を見るには格別の場所だったのだ。もう、その光景はキレイなんてものじゃない。
 茜色の世界。
 キラキラと輝く海。
 彼方には岩礁が数個、波間から顔を覗かせている。
 空には本格始動後に実装された、決して地上に降りてこないカモメが優雅に飛んでいる。
 海に半分突き出ている広場には、蟻のようなユーザーたちの姿も見えた。
 それは夢のような景色だ。
 街に戻るなら、必ずこの時間にしようと話し合ったくらい、この部屋からの景色は格別だったのだ。
「……やるか」
 と、俺はつぶやいた。
「なにを?」
「だから……面倒なこと」
 俺は兜を呼び出し、装備しなおした。
 リンは目を見開いて、兜を被った俺をマジマジと見上げた。
「芝居、本気でやるつもり?」
「もったいないだろ、この部屋」
「それはそうだけど……でも、そういうの苦手なんでしょ?」
「交渉は任せた」
「あんたねぇ……」
 リンは両手を腰にあてながら、呆れたとばかりに顔をしかめてきた。
 それでも口元が微妙にほころんでいる。
 これなら、まぁ、なんとかしてくれるだろう。多分。


━━━━━━━━◆━━━━━━━━


 部屋を出ると、宿の前に集まっていたユーザーたちが一斉にこっちを見上げてきた。
 トカゲ人間もいれば子供外装もいる。
 普通の男性外装もいれば、女性外装もいる。
 雑多な集団だ。
 少なくとも俺が知る有名どころの《青》系グループではないらしい。といっても、俺の知っている集団といえば、トカゲ人間が多い『蜥蜴同盟』とか、貝殻ブラジャー必須という珍妙な掟を掲げている『私立人魚姫学園』だとかのキワモノ系(?)ばかりなのだが。
「いくわよ」とリン。
「OK、相棒」と俺。
 設定は随分前に作り上げている。雑談がてら、冗談半分に話していたものだが、とうとうそれを実際に使う時が来たのだ。
「はじめまして」
 階段を降りた俺たちの前に、グループの代表者らしい女性外装ユーザーがやってきた。
 もう、引き返すことはできない。
「さきほどはすみませんでした」
 メイド姿のリンが会釈した。
「こちらこそ。リューネです」
 代表者はそう応えた。
 ヴェトナムのアオザイを着た、スタイル抜群の女性だ。
 背の中程まで伸びる癖のない藍色の髪。肌は褐色。パッチリとした両目はサファイアのような蒼。珊瑚にも見える外装オプションの《竜角(ドラゴンホーン)》が、額から2本、小さく突き出ている。それ以上に目を引くのは、全リセット前のリンよりも大きい、しっかりとした胸のふくらみだ。
 今回ばかりは、兜を被っていて良かったと本気で思った。さもなきゃ、胸に注目する俺に、リンがどういう反応を示していたものかわかったもんじゃない。
「今日からこちらの宿でご一緒させていただくことになります。そちらは……」
「わたし、ランです。こっちはカミュっていいます」
 俺は軽く頭を下げた。
 言うまでもなく、偽名だ。
 それでも、リューネと名乗った人は、当然のように、ある疑問を口にしてきた。
「おふたりだけ……ですか?」
 当然だろう。パーティは6人というのが常識なのだし。
 だがラン(リン)は即座に、
「はい」
 と答えた。
「わたしたち、幼馴染みなんです。ただ、カミュがちょっと人見知りするんで……」
 ラン(リン)とリューネが俺に視線を向けてきた。
 俺は顔を背けた。
「もう……」
 ラン(リン)の肘鉄が、鎧の腹部を震わせた。
 兜の下で視線だけをリューネに向けると、彼女は困惑気味に微笑んでいた。
 どうやら今の話を信じてくれたらしい。
 悪い人では無いのかもしれない。
「ところで……なんていうグループですか?」
 ラン(リン)はチラッと、周囲に視線を向けた。全部で十数名いるリューネの仲間らしきユーザーたちは、俺たちの会話に注目しているところだった。
「いえ、名前はまだ……グループというより、たまたま知り合った人たちが集まってるだけなんです」
「何人いるんですか?」
「今日は30と……ねぇ、何人?」
「36。ロイドさんたちとハチコウさんたちが潜ったまんまだし」
「8パーティですか?」とラン(リン)
「ううん。パーティは9つ。5人と4人のパーティもいるの」
 ラン(リン)を年下と判断したらしい。リューネは口調を変えながら、落ち着いた物腰で、さらにこう言ってきた。
「それもあって、相談したいと思っていたの」
「部屋のことですか?」
 ラン(リン)はすぐ察したらしい。
 “老人の隠れ家”亭は1階が4部屋、2階が5部屋の計9部屋構成だ。しかも部屋のレンタルはパーティ単位。キャンプ機能のことも考えると、いちいち再編成するよりは、というところなのだろう。
「後から来たのに、こういうお願いをするのもどうかと思うんだけど……」
「すみません。あの部屋、わたしたちも気に入っているので……」
「もちろん、ただとは言わないわよ? 迷惑料込みで、100万(1M)まで出せるわ。どう?」
 ラン(リン)は目を丸くした。俺もだ。
 俺たちも随分稼いでいるつもりだが、それでもリンが言うには今回の分も計算にいれて、ようやく1日平均が5万を突破した程度にすぎない。それなのに彼女たちは、たかが宿屋の一室を手にいれるために100万も出すと言ってきた。
 俺はリンの背中をこずいた。
 振り返るラン(リン)の顔に、兜を近づける。
「……なに?」
 リンが小声で尋ねてきた。
「……いくらなんでも変だ」
「……わかってるわよ」
「……いざとなったら俺が暴れる」
「……そんなにやばい?」
「……わからん」
「……OK、その時は任せるから」
「……任せろ」
 俺たちは内緒話を終え、再びリューネに向き直った。
 リューネは両腕を組みつつ、苦笑を漏らし、小首を傾げていた。
「質問があります」とラン(リン)
「そうよね」とリューネ。
「100万クリスタルなんて大金、本当に持ってるんですか?」
「これでどう?」
 すでに準備していたのだろう、リューネはアオザイの袖からカードを引き出した。
 それを見えるように差し出す。
 クリスタルカードだ。
 それも、ワードスペースに“1,000,000c”と記されたクリスタルカードだった。
「まだ信用できない?」
「できません」
 ラン(リン)は即答した。後ろにいる俺には表情が読みとれない。だが、なんとなく笑顔で言い返した気がした。こいつはそういうヤツなのだ。
「わたし、ゲームのことは詳しくないんですが、アンダーグラウンドの地下10階より深いところに潜ってるプレイヤーでも、1日に稼げる量は1万クリスタルから2万クリスタル、いっても4万クリスタルぐらいと聞いています。違いますか?」
「9パーティもいるんだもの。1日で36万ぐらい、稼げるでしょ?」
「もしくは9万ですね」
「そうね」
 リューネは組んでいた右手を頬にあてつつ斜め下を見下ろした。
「あなた方が納得できる答え、簡単に教えるわけにはいかないのよ」
「それでしたら交渉決裂ですね」
 ラン(リン)の一言に、リューネの背後にいる面々が戸惑いの表情を浮かべた。それもそうだろう。いくら胡散臭くても100万が手に入るのだ。仮に彼女たちが後ろ暗い連中だとしたら、関わりにならないのが得策といえる。だったら、素直に受け取り、宿を引き払うのが最善のはずだ。
 実際、俺もそう考え出している。リンもそうだろう。
 しかし、まだリューネの目はしっかりとラン(リン)を捕らえている。交渉が決裂するはずがない。
「交渉上手ね」
 リューネのその一言が、すべてを物語っていた。
「やっぱり最初から100万にしたのがいけなかったのかしら?」
「さぁ?」
 ラン(リン)とリューネは微笑みあっている。和やかに見えるのは、あくまで表面だけだが。
「どうすれば譲ってもらえるかしら?」
「どうすればわたしたちが譲ると思います?」
 リンは一歩の引かない。それどころか、攻めに転じている。
 いや、向こうが条件を出した時点で、すでにこっちが攻め手になっているようだ。
 向こうはこちらの要求が何であるかを把握していない。
 仮に焦れた相手が暴力を臭わせてきたら、その時点で向こうの負けだ。
 不幸中の幸いというべきか、俺たちは蒼海市長から“何かあったら連絡して良い”という免罪符を貰っている。いざという時は、これに頼ればいいだけなのだ。できればやりたくないが、大金をちらつかせる胡散臭さを思うと、公権力(スタッフサイド)も手持ちのカードとして数えておくべきだと思わずにいられない。
「困ったわね……」
 リューネは溜め息をついた。
「団長。聞いてるんでしょ? 降りてきてくださらない?」
「あぁ」
 声は上から聞こえた。見上げると、2階東端の角部屋の前に人影があった。
 紺色の着流しを着込んだ、長身の青年だ。巻き毛がかった短い金髪、白い肌、赤い瞳――よく見ると額から細長い5センチほどの一本角が伸びている。こちらも外装オプションは《竜角(ドラゴンホーン)》らしい。なんとなく、和服に挑戦した西洋人といった感じのする人だ。
「まったく……ここではゼノンって呼べって言ったろ?」
「団長は団長です」
 リューネはニヤッと笑っていた。
 ゼノンと呼ばれた着流しの人は、
「いやぁ、すまんすまん」
 と俺たちに笑いかけながら階段を降りてきた。
「君らが本物なら、きっとこうなるだろうと思ってね。いや、試すみたいで申し訳ない。お互い様ってところで、どうかな?」
 俺はリンの背中をこずいてから、少しだけ階段から離れた。
 こいつらの仲間はリューネの向こう側にいる。俺の背後には誰もいない。
「おっと、やりあうつもりはないよ。勝てない喧嘩はしない主義なんだ」
 ゼノンは階段を降りると、腕を組みつつ、俺のほうに苦笑を投げかけてきた。
「どういう意味ですか?」
 俺と共に退いていたリンは、警戒しながらゼノンに言い返した。
 ゼノンは苦笑まじりに、片手で顎を撫でだした。
「どういう意味もなにも……なぁ」
「私に振らないでくださいね」
 ゼノンの問いかけを、リューネはクスクスと笑いながら軽く受け流した。
「……ったく」
 俺は悪態をついた。
「ねぇ……」
 リンは前を向いたまま、俺に向かけて囁きかけてきた。
「ちょっと……ヤバくない?」
「ちょっとどころじゃないだろ。ただ……逃げても、無意味かもな」
「やっぱり?」
「あぁ。だいたい、どう考えても……」
 俺は溜め息をついた。
「バレてる」
「だね」
 ゼノンは「君らが本物なら」と言った。さらにリューネはゼノンのことを「団長」と呼び、ゼノンはゼノンで「お互い様」なんて言っている。
 なにがお互い様なのか?――正体を偽っていることだ。
 では連中の正体は?――考えるまでもない。
 見せ金にしても100万は大金だ。それほどの資金力を持つグループといえば、今日になって《シャークウェア》の買い占めを行った連中以外に考えられない。
 つまりこいつらは――
「『蒼海騎士団』?」
「だな」
 思いつく名前は、それしかない。
「いやぁ、偶然というのは恐ろしいものだよ」
 ゼノンは小さく笑いながら、語り続けた。
「市場で鍾乳洞のドロップアイテム、いろいろと売却してる2人組がいることに気づいてね。しかも、尾行してみたら、こっちが拠点候補にしてるところに、2人だけで入っていくんだから……そこまで聞いて、ピンと来たよ。この2人こそが、あの……ってね」
「それで?」とリンが冷ややかに尋ね返した。
「まぁまぁ」
 ゼノンはそう告げると、リューネに顔を向けた。
「悪いけど、軽食3人分、誰かに買ってこさせてくれないかな?」
「タケル、キオ、全員プラス2人分のAセット、お願いできる?」
「おい、全員って――」
「団長のおごりだから、急ぐのよ」
 すぐに「はい」という返事が2つ響いた。トカゲ人間と男性外装が目抜き通りに向かって走り始めた。
「立ち話もなんですから、あちらで」
 リューネが1階西端の部屋を指し示した。
「お断りします」
 リンが即答した。俺もうなずいた。
 これは予想外だったらしく、ゼノンとリューネは、顔を見合わせた。
「いや……それだと、まとまる話もまとまらんだろ?」
「だったらここで言ってください。それと、なにか勘違いされているようですが、わたしたちはSLじゃありません。前にも勘違いした人に因縁つけられて、スタッフのお世話になったことがあります。必要と判断すれば、今回もそうします」
 リンはスラスラと言い放つと、最後に半歩踏み出しながら鋭く言い放った。
「お話しは以上です。そこをどいてください」
 ゼノンとリューネは、再び顔を見合わせていた。

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