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ONLINE : The Automatic Heart

[01-07]


 リンが口を開いた。
「わたし……ね」
「…………」
「実は…………」
「…………」
「胸……小さいのよ…………」
「……………………………………………………………………ぷっ」
――ドガッ!
 リンの右ストレートが俺の顔面に炸裂した。痛い。
「笑うな!」
「悪い」
 俺は鼻がしらをさすりながら、できるだけ表情を引き締めることにした。
 でも、笑いがこみ上げてくる。
 なんだ、そういうことか。良かった。あっ、いや、当人がこれほど過剰反応しているんだ。つまり胸の小ささはコンプレックスであって、それがどんなものであろうとも笑われるとなると傷つくはずだ。うん、そうそう。コンプレックスを笑うだなんて、男として、人として間違って――
「だから笑うなって言ってるでしょ!」
 再び右ストレート。今度は右手でしっかりと受け止めた。
「悪い」
 でも、頬のゆるみがなかなか治らなかった。
「でもな……こっちは最悪の可能性、想定してたんだぞ」
「最悪ってなによ」
「体中に火傷の痕があるとか、実は不治の病だとか」
「……悪かったわね。大したことなくて」
「いや、俺もこの顔にコンプレックスあるし」
「その顔に?」
 リンは少しばかり驚きつつ尋ね返してきた。
「顔っていうか……目だな」
 俺は苦笑した。
「黙ってても睨んでる感じするだろ? だから実在現実(オフ)だと伊達眼鏡なんかかけて、誤魔化してるわけよ」
「へぇ……苦労してんだ」
「苦労ってもんでもないだろ。でもまぁ……なるほど……違うわけか……」
 俺はリンの胸元をジッと見つめた。
 リンは慌てて、身を捻らせながら両手で胸を隠した。
「なによ」
「別に」
 これまで意識していなかったが、確かに外装の胸は大きめだ。もっとも、無駄に胸のでかい姉貴を見て育った俺だ。そりゃあ、中学に入った直後あたりは、思うところも無かったわけではないが……まぁ、中3の頃には、気にもならなくなった。
「なによ」
「いや……剣の時、だったな。ボヨンボヨンはね回って、動きづらそうだなぁって」
「…………」
「変なデッドウェイト残すぐらいなら、小さいほうが戦いやすいんじゃないか?」
「あんたねぇ」
 リンは溜め息をついた。
 溜め息の意味が掴めず、俺は頭上に疑問符を浮かべた。
 そんな俺の反応にも、彼女は再び溜め息をついた。
「ホント、脳味噌の99パーセントがゲームのためしか動いてないわけね、あんたは」
「失敬だな。いっても80パーセントだろ」
――リミットタイムまで残り5分です
 警告メッセージが耳元で響いた。
「残り5分」
 俺は立ち上がった。
「もう?――あっ、わたしも」
 数瞬遅れでリンにも警告が来たらしい。彼女も立ち上がり、一緒に外へと歩き出した。
「じゃ、あとは明日か?」
「それなんだけど……わたし、ちょっとおばあちゃんの家で1泊しなきゃいけないのよ」
「1泊?」
「昼に出て、明日の夜に戻るの。だから定時は無理」
 ちなみに俺たちの定時は、午前3時50分から午前6時50分だ。
「でも、わたしとしてはやってみたいわけよ。フィールドでの戦い。1秒でも早く」
「出発、何時だ?」
「午後の1時。いろいろあるから11時には仕度、始めるけど……」
 リンはチラッと俺の横顔を盗み見てきた。
 なるほど、そういうことか。女の心はまったくわからんが、ゲーマーの心理なら簡単に理解できる。
「だったら、メンテ明けから2時間だけいってみるか?」
「いいの!?」
 リンの表情が輝いた。
「いいも悪いも……抜け駆けしたら、あとで殴るだろ。俺のこと」
「当然じゃない」
「だろうと思った」
「じゃあさ、細かい打ち合わせは、外に出てからってことで」
「外?」
「電話かメールかヴォイスチャット。メンテ明けまでの2時間のうちに、情報、集めるだけ集めて対策練るべきでしょ?」
「んじゃ、ヴォイスチャット。俺のアドレス、暗記できるか?」
「もちろん」
 俺の告げたアドレスを、リンはスラスラと復唱してみせた。



━━━━━━━━◆━━━━━━━━



 独特の浮遊感と共に世界が暗闇に閉ざされていった。
 何かが背中に押し当てられる。
 いや、俺が何かに背中を押し当てている。
―― Logout Sequence : complete
 合成音声と共にかすかなモーター音が聞こえてきた。
 両目を開けてみる。
 まるでワニが口を開けるように、腰のあたりまで覆い被さっていた黒いフードが、ゆっくりと独りでに開いていった。完全に上がりきると、少し汚れた乳白色の天井が見えた。部屋はほのかに明るい。カーテン越しにまぶしい朝日が差し込んでる。
 俺は軽く背伸びをしながらベッドから降りた。
 正式名称『 PVD-B001P 』。
 通称『PVベッド』。
 見た目は、ワニの口のように開閉する半円筒のフードが付いた、シングルサイズのウォーターベッドにすぎない。だが、これでも1台100万以上するらしい。値段を聞いた時にはビビったものだが、試作品のモニターを兼ねているため、たとえ壊しても支払いは発生しないと聞いて安心したものだ。それでも当初は、札束の上に寝ている気がして、妙に落ち着かなかったことを覚えている。まぁ、所詮は庶民の小せがれってところなのだろう。
 なお、PVベッドには専用の枕、毛布、掛け布団、枕カバー、シーツ、布団カバーがセットになっている。金属製品さえなければ通常の布団も使えるそうだが、俺は万が一にそなえ、付属品だけを使っている。つまり、フードさえ度外視すれば、見た目も使い方も普通のベッドと変わらないということだ。
(それにしても……)
 俺は閑散とした九畳間を眺めだした。
 昨日、姉貴が(分譲マンション)を出て行った――といっても、暗い話ではない。むしろめでたい話だ。なにしろ4年も付き合った高塚さんと、ようやくゴールインしたのだ。
 本当に……惜しい人をなくした。
 高塚さんには心からの敬意と弔意を捧げたい。合掌。
 ではなく。
 そういう次第で、俺はこれまで姉貴が占拠していた9畳間を手にいれた。4畳半の和室から、とうとう抜け出したのだ。とはいっても、昨日は姉貴の荷物を運び出すだけで精一杯だった。引っ越しを手伝ってくれた姉貴の後輩の方々にお願いして、重い荷物だけは運び込んだが……はてさて、どうしたものか。
「…………」
 いや、部屋の片づけはあと回しだ。
 本棚を外した学習机に向かった。そこには1世代前のノートパソコンが置いてある。
 笑いたければ笑え。
 俺は次世代情報端末であるPVベッドを、旧型のノートパソコンを経由してQライン(超高速量子暗号回線)につなげているのだ。一応、通信カードとルーターは叔父の好意で新しく買い換えているが……正直、外装の調整なんていう激重な処理をやらせるパワーは無い。俺が途中で外装調整を投げ出した最大の理由が、それだったりする。
「新しいヤツ、欲しいよなぁ」
 そんなことをぼやきながら、俺は椅子に座り、ノートパソコンを開いた。
 最大化しているPVモニタを最小化。続けてIPヴォイスチャット用フリーソフト『SCOP3』を起動。携帯電話充電器の横に投げおかれたインカムを装着、端子を差し込む。と、計ったようなタイミングでSCOP3がアドレスコールを受けたというウィンドウを表示した。接続者のHN(ハンドルネーム)は“LIN”だ。
 受話ボタンをクリック。
〈もしもし、シン?〉
 聞こえてきたのは、仮想現実(オン)と全く同じリンの声だった。
「おっす」
 答えると、リンは一瞬沈黙した。
「もしもし?」
〈あっ、ううん。聞こえる、聞こえる。ちょっと驚いただけ〉
「なにを?」
〈別に。それより、まず公式サイト。開ける?〉
「ちょい待った」
 タグブラウザを起動。ブックマークしてある『 PHANTASIA ONLINE 』公式サイトを開く。Flashの進化系にあたるF2で制御されたオープニングムービーは速効でスキップ。記録済みのアカウントで会員認証を済ませ、ようやく求めていた公式サイトの情報ページに到着する。
「OK、着いた」
〈だったら最初に――〉
 そこから俺たちは、ヴォイスチャットで話し合いながらいろいろなサイトを巡り、情報を集めまくった。もっとも、俺たちが求めるフィールドや戦闘に関する情報は驚くほど少なく、そのほとんどが新たに追加される外装オプションに関するものだった。
〈情報無いね……〉
「これからの話だからなぁ」
 それでもわかったことがいくつかある。
 まず、解放される最初のフィールドは“試練場”と呼ばれる全五階層の地下迷宮らしい。各都市の神殿にいるNPC大神官に語りかけることで、《赤》の陣営なら“赤の試練場”に、《青》の陣営なら“青の試練場”に、《緑》の陣営なら“緑の試練場”に、それぞれ強制転移されるそうだ。
 転移先は“シュートボックス”という、デッド時の復活場所にならないログインボックス。同時参加人数は最大256人まで。デッド以外の方法では最下層にいるボスクリーチャーを倒し、クリアするまで脱出ができない。
 これが初フィールドに関連した情報の全てだった。
「どうする? クリア時間の目安、2時間ってことになってるぞ?」
〈うーん……〉
 今回はリンの都合で2時間しかログインできない。時間が来たら、デッド扱いになるフィールド・ログアウトで抜ければいいだけの話だ。しかし、できることならクリアしたうえで脱出したいところだ。
「やってやれないこと、無いだろ」
〈そう……かな?〉
「普通のプレイヤーで2時間だろ? こっちはSラン全クリ(ランクSで全クリア)、2周してんだ。やり方次第で、なんとでもなる」
〈……うん、確かに〉
「だろ?」
〈だね〉
「だったら――」
 俺たちはさらに、作戦を練りだすのだった。

To Be Contined

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