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Deadly Labyrinth : The Automatic Heart

[45]


 クロウとリーナは部屋の外で話を聞いていた。黄金の少年が気を利かせたのだろう。隔壁は閉じていたが、室内の声はハッキリと聞こえていたのだ。
「……クゥ」
「しっ」
「そうじゃなくて……もう大丈夫だから」
「……悪い」
 クロウは抱きかかえていたリーナを立たせた。今さらのように、彼女を抱きかかえていた恥ずかしさが募ったものの、それ以上に黄金の少年の言葉が衝撃的すぎて、ふたりとも少なからず呆然としていた。
「……なぁ」
 クロウは閉ざされた隔壁はジッと見据えた。
「これ、どう思う?」
「パス。難しすぎるし……それに、もし言ってることが本当なら……」
 リーナの思考は《システム》に隷属している――黄金の少年はそう告げていた。
 彼女は自らを抱きしめ、ブルッと震えた。
 クロウはグッと口元をひきしめ――半ば無意識的に、手を伸ばした。クロウはリーナを抱きしめ、リーナは彼の首筋に額を押し当てた。
 彼は告げた。
「……約束、忘れるなよ」
「……クゥこそ。ちゃんと覚えてる?」
 ドアがせり上がったのは、それから間もなくのことだった。


「終わらせるぞ」
 レイスの宣言を受け、攻略隊は再起動した。
 向かった先は部屋の北側にあるドアだ。ドアの向こうには三×三ブロックの部屋があり、その中央には水晶製の正八面柱が立っていた。近づくと「クリスタルパスを入手しました」というウィンドウが表示される水晶柱だ。
「フラグ処理か……」
 レイスはウィンドウを開き、アイテムが増えていないことと、キャラクターウィンドウの名前の左下に「P」の文字が入っていることを確認した。
「誰か、クロウとリーナを呼んでこい」
 呼ばれた二人もクリスタルパスを入手。消耗も少ないことから、攻略隊はそのまま先を急ぐことにした。
 もちろん、向かう先は第九階層。他の階層には見向きもしない。
 これまでの例を考えれば、第九階層は第一階層西部の構造に類似していると予想されていたが――
「……見ると考えるとでは大違いだな」
 レイスは苦笑しながらグルリと周囲を見回した。
 広大な空間が広がっていたのだ。
 第一階層西部は、一切の壁が無いという変わった場所だ。それと同様、第九階層にも一切の壁が無かったのである。ただ、第一階層のそれが三十ブロック四方程度(約九十メートル四方)の大きさしかなかったのに対し、こちらは二百六十ブロック四方(約七百八十メートル四方)という広大さだ。一同の頭上で輝く“ブライトボール”の光は六ブロック(約十八メートル)、“ノクトビジョン”を持つクロウとリーナでも十二ブロック(約三十六メートル)先までしか見通せないのだから、さながら、暗黒の空洞に迷い出てしまった感じさえあった。
「……ありえない」
 クロウは三メートルほどの高さがある天井を見上げながらポツリと呟いた。
「なにが?」とリーナが尋ねた。
「柱が無い」
「……うん、そうみたいだけど?」
「ありえない」
「――あっ、構造的に?」
 クロウはうなずいた。
「でもさ……」リーナも天井を見上げた。「ありえないことだらけだし」
「まったくだ」レイスが苦笑まじりに言葉を挟んできた。「だいたい、奥に進むほど広さが増す迷宮ってなんだ? ピラミッドじゃあるまいし」
「聞けば良かっただろ」
 クロウも苦笑を漏らしながら、レイスに言い返した。
「なんで下に行くほど広くなるのかって」
「――あぁ、そうか。他にもある。おまえのネームカラーのこととか」
「そういえば――」
 とリーナが語り出したことで、皆も迷宮に関する疑問を口にしていった。
 そのほとんどは、単なる思いこみや勘違いにすぎなかったが、雑談に興じているうちに皆の緊張がほぐれていった。結果的にこれは休息になり、多少は目減りしていたMPも回復、攻略隊は万全の状態を取り戻すことになった。
「よし――無駄口はそこまで」
 レイスのその一言で、一同はとりあえず、北側を目指すことにした。地図を開くと、エレベーターゲートの所在地が、階層のちょうど中央にプロットされていたからだ。
 途中、彼らはクリーチャーの襲撃を受けた。
 蝙蝠の翼と蛇の尾を持つ獅子――マンティコア。
 黒いエナメル質の肌を持ち、背中に蝙蝠の翼を生やした悪魔――レッサーデーモン。
 宙を飛ぶ蝙蝠の翼を生やした蛇――スカイワーム。
 第四階層の現れたクリーチャーの上位版――マスターニンジャ、ショーグン、ヘルキャスター、ホーリーナイト。
 バリエーションだけでも、これまでより少しだけ多様だ。おまけにマスターニンジャはクロウよりも小柄で細身な児童そのままのスタイルを持っていた。それだけ照準が付けづらく、動きも数倍素早い難敵だったが、それ以上に攻略隊の面々は、黄金の少年の話を思い出し、違う意味で顔をしかめていた。
「……屑め」
 レイスの毒のあるつぶやきこそ、皆の心境を代弁するものだった。


 午後六時頃、数度の小休止をとりつつ歩き回った攻略隊は、第九階層北東部に、外周を取り囲む壁ではない壁を発見していた。広大な空間にポツンと存在している、南北に細長い部屋であるらしい。六×三ブロックといったところだろう。南側に出入口があり、隔壁で閉ざされているわけではなかった。
「あれ……」「まさか……」「くそっ……」
 誰からともなく、近づくと共に悪態が口から漏れ出た。
 出入口の前に人影があったのだ。
 純白の西欧甲冑。純白のマント。兜を飾るのは鹿の角のような角飾り。両手をだらりと左右に下げ、なにをするでもなく、ジッと立ちつくしている……
「マコさん……」
 気が付くとリーナは、クロウに手を伸ばしていた。
 クロウはその手を左手で握り返した。
 距離にして約六ブロック(約十八メートル)――そこまで近づいて、攻略隊は停止した。
 しばし無言のにらみ合いが続いた。
「遅かったじゃない」
 マコの声が反響した。
 いかに迷宮が音の響きにくい仕様になっているといっても、壁一つ無い第九階層ではかなり遠くまで物音が響いてしまう。戦いの音ともなれば、隅々まで響いてもおかしくない。
「マコ、帰ってこい」レイスが声をあげた。「今なら間に合う」
「何に?」
「……駅長は狂ってる」
「だから?」
 マコの言葉に揺らぎはなかった。それだけに、レイスは続く言葉を見つけられなかった。
「――マコさん!」
 声を張り上げたのは、リーナだった。
「これから全部終わらせに行くの! だから……だから!」
「終わらせないわ!」マコは叫んだ。「先生はそんなこと、望んでないじゃない!」
「マコさん!」
「リーナ! あんたこそ早く気づいてよ! 先生は素晴らしいのよ! 人殺しのあたしを許してくれるのよ! 知ってた!? あたし、生まれついての人殺しなのよ! 異常なのよ! リアルに戻ったら、一生、病院に押し込まれるの! でも先生は許してくれる! こんなあたしでも、生きていていいんだって言ってくれる! ここにいる限り、あたしはあたしとして、人殺しのあたしとして、生きていけるんだって!」
「違う!」
「なにが違うのよ! あたしがこうして誘ってあげてるのに、なんで嫌がるのよ!」
「違う! マコさんは――マコさんは!」
「だったらなんのために、あたしがレイプされなきゃならなかったのよ!」
 誰もがギョッとした。
 苦渋の表情を浮かべているのは、レイスとクロウ、そして、涙目になったリーナの三人だけだ。
「身代わりになってあげたじゃないの! あんたの目の前で! 好きでもない男に犯されてあげたじゃない! あたしがそこまでして守ってあげたのに、なんであたしの言うことに反発すんのよ!」
 リーナは顔を背けた。熱い涙が頬を伝い、ポタリ、ポタリと落ちていった。
 クロウがスッと前に進み出る。リーナの手を離したクロウは、マコの視線からリーナを隠すように前へと歩き出し――
「待て」
 右腕を伸ばしたレイスに阻まれた。
 マコは兜の奥で嘲りの笑みを浮かべた。
「かっこいいわね。お姫様を守るナイト気取り? マサミに迫られたぐらいで逃げ出したお子様のくせに?――そういえばマサミはどうしたの? あんたたちと合流したんでしょ? 知ってるわよ、それくらい。だって、エレベータールームの警護班、全滅させたのあんたたちじゃない」
 クロウはレイスの腕を掴んだ。
「やめろ――」
「知ってたんだな!」
 レイスの静止を無視し、クロウは声を荒らげた。
「マサミさんがどういう状況だったのか、知ってたんだな!」
「当たり前じゃない……」
 マコは両手を腹の前で交差させた。

「命令したの、あたしなんだから!」

 白と黒の旋風が吹き抜けた。
――キィィィィィン!
 まったく同時に飛びだしたクロウとマコは、真っ向から激突していた。
 上段からカタナを振り下ろしたクロウ。
 抜刀した二本のブロードーソードを交差するように振り下ろしたマコ。
 細身の刀身は、交差する直剣に阻まれていた。
「今度こそ証明してやる!」
 マコの両目は見開かれていた。
「あたしは負けない! 誰にも負けない! 最強はあたし! あたしが最強なのよ!」
「……そうかよ」
 クロウの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「だったら……やってやる!」
 二人はバッと後ろに下がり――白と黒の旋風に変わった。
――キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキキンッ!
「なっ……」
 レイスたちは絶句した。コロシアムでの一戦を目撃していなかったからだ。そもそも普段のクロウは、敵の傍らを風のようにすり抜け、一刀のもと、クリティカル・ヒットを叩き出すという戦法を好んでいる。立ち止まってカタナを振るうこともあるが、それは流れの中で行う小休止のようなものだ。
 しかし、今のクロウは同じ場所からほとんど動いていない。小刻みにすり足で動いているが、普段を思えば、静止も同然だ。それでいて躰は激しく動いている。上体の捻りだけで勢いを作り、腕のしなりで威力を高めている。
 クロウのネームカラーは今も黒いままだ。ゆえに攻撃時に生じるエフェクトも黒く、巨大な黒い扇を広げているかのように表示される。そんな彼が、縦横無尽にカタナを振るっているのだから、黒い扇は幾重にも重なり、躰の周囲を取り囲みつつあった。
 さながら、黒いドームがマコに叩きつけられているようなものだ。
 だが、彼女は白いドームを作ることで対抗していた。
(まだPKを……)
 レイスは胸が締め付けられるような思いを感じた。
 プレイヤーを殺せばレッドネームになる。だが、マコのネームカラーは白のままだ。それでいながら、彼女は自分を「生まれついての人殺し」だと告げていた。原因は“ブレインファンタズム”。クロウから聞いた限りでは、そうだとしか考えられない。
 だとしたら、元凶は――
(――あっ!)
 今さらのように、レイスはその事実に気づいた。
 これほど騒いでいるのに、ここにいるべきもう一人のプレイヤーが姿を現していないのだ。そればかりか、戦い続ける二人の向こう側、口をぽっかりと開いている出入口の奥には、噴水とストーンサークルの輝きがハッキリと確認できた。目をこらせば、噴水そものはもとより、その奥にあるストーンサークルの外周部も視認できる。
 部屋の中に、人影がない。
(まさか――!)
 レイスは周囲を――――


 クロウは致命的なミスを犯した。
(ここ――!)
 一瞬、四本の剣閃が見えた。武器型アクションスキル“フォークローバー”だ。
 そう判断するが早いか、クロウは以前と同様、のけぞることで、最初の二撃をかわした。
 直後、無謀を承知で踏み込んだ。
 左手を柄から離し、マコの胸元に向かって突き出そうとした。
(これで――!)
 クロウは勝利を確信した。
 だが、それこそが、成功体験に引きずられての、致命的なミスだった。
 マコは――クロウの前にいなかった。
 “フォークローバー”を放ちつつ、我が身を横に跳ばしていた。
 剣筋を読めば予想できた動きだった。
 クロウは、四本の剣閃を見ただけで真っ向からの“フォークローバー”だと思い込んでしまったのだ。それだけ前回の戦いの結果が、頭の中に焼き付けられていたともいえる。
 クロウはすぐに自らのミスに気が付いた。
 タトゥを起動するきっかけも失った。
 上下からの挟み込むようのな剣閃は、クロウのすぐ右をすり抜けていった。
 正確には彼の右斜め後ろで剣閃が走った。
 マコの躰は、クロウの真横にあった。クロウも踏み込んだが、マコもまた、横に飛び退いたあと、“フォークローバー”のモーションに沿って、半歩前へと踏み出していたのだ。
「かぁああああああああああああ!」
 マコは目を血走らせながら奇声を張り上げた。
 彼女の右肘が風を切った。
――ゴッ!
 金属板で覆われた右肘が、クロウの後頭部に直撃した。
 クロウは前のめりになりながら吹き飛んだ。自らも前に跳んだのだ。それでも肘のほうが一瞬だけ早かった。クロウは軽く宙を跳ぶと、前のめりによろめくように数歩、ヨタヨタと足を運んだ。
 致命的な一瞬だった。
 背中は無防備。頭部強打の衝撃も残っている。
 今度はマコが勝利を確信する番だった。見事なまでに罠にはまったクロウの間抜けっぷりが、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
 だが――
「はっ!」
 視界の片隅で白い剣閃が瞬いた。反射的にマコは左の直剣でこれを弾きあげた。
 直後、何かが足にあたる――世界が直角に傾いた。
(――へっ?)
 横向きの重力があった。マコは左半身から壁と思われるものにぶつかった。
 再び何かが迫った。
 直感の命じるまま、マコは右の直剣を振り抜いた。
――キンッ!
 何かを弾いた。そこでようやく、彼女は自分が転んでいることを悟った。
「クゥ、大丈夫!?」
 異変の正体――それは二本の小太刀を構えるリーナだった。
 マコの激情に油が注がれた。
 せっかくの勝利を。
 クロウを殺す機会を。
 最強の証明を。
 リーナがぶち壊した。
 邪魔をした。
 リーナが。
 助けてあげたのに。
 あんなに優しくしてあげたのに。
 犯されたのに。
 代わりに犠牲になってあげたのに。
「リィイイイイイイイイイナァアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
 跳ね起きたマコは猛然とリーナに襲いかかった。
 一瞬で血祭りにあげてやる――そのつもりで両手の直剣を振った。だが、そのいずれも空を切った。ギョッとした。しかし、驚いている暇は無かった。リーナがくるっと回転しながら蹴りを繰り出してきたのだ。
(なんで――!)
 腹を蹴られた。リーナが迫る。マコは剣を振った。すべて避けられた。
(どうして――!?)
 動きが掴めない。
 速さではクロウに劣る。そのはずなのに、剣先はリーナを捕らえられない。
 攻撃もすべて避けられない。特に蹴り足が繰り出されると、面白いように当たってしまう。鎧のおかげで致命傷にはならないが、それが逆にマコの癇に障った。
(なんで――なんであたしがこんなガキに!)
 マコにしてみれば、これは起こってはいけない事態だった。

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