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桜に帰るまえに

※本作は『 TYPE-MOON 』の作品をベースにした二次創作物です※


02 / 奇跡の結果は


 早春の冷気が体を身震いさせる。遠くから聞こえるのは小鳥たちのさえずり。目を開けば、ガラクタの向こう側に埃に照らし出された朝日の光条が見えた。
「んっ……」
 俺は横たえていた体を慎重に起こしていった。
 節々が痛い。
「……ふわぁあああ……っと」
 あぐらをかき、肩をもみほぐす。
 どうやら普段通りの格好――トレーナーにジーンズ――で土蔵の床――というか固められた土の上――に倒れ込んでいたらしい。寝ぼけているせいか、よく思い出せない。でもまぁ、見当は付けられる。どうせ今回もまた、強化の魔術を練習するうちに、集中力がとぎれるか何かして、意識を失ってしまったのだ。
「俺のやり方って非効率的だもんなぁ……」
 俺はボンヤリとつぶやいてみた。そして、不思議そうに首を傾げた。
(非効率的?)
 何と比較しているのかわからない。
 非効率というなら、効率的なやり方が存在していると()()()()()わけだが……
 馬鹿馬鹿しい。
 自分はゼロから魔術回路を組み上げ、そこに魔力を通し、触れた物品を解析して、これを強化する――という修行方法しか教わっていない。一応、たまに投影魔術も行っているが、できあがるものは中身がスカスカな外見だけの偽物(フェイク)にすぎない。刀剣であれば、伝説の武具すら投影できるというのに……
(……刀剣なら?)
 再び首をひねる。
 どうやら本格的に寝ぼけているようだ。
「……顔でも洗うか」
 俺は立ち上がり、土蔵の外に出た。
 冷え冷えとした空気が頬を撫でる。季節は早春。学校はまだ春休み中だ。毎日のように衛宮邸(うち)を強襲する藤ねえは、県の教育委員会の研修会とかで当分の間、帰ってこない。桜も弓道部で忙しいらしい。ここ最近、あまり顔を出していない。それ自体は寂しくもあるが、いい傾向だと思うところもある。
 平穏と静寂――俺だけでなく、衛宮邸そのものも春休み中ということだ。
「うしっ、今日も元気に頑張るとしますか」
 俺は肩をグルグルと回しながら母屋に向かうことにした。


「……これでよろしいのですね?」
「えぇ、安定するまでしばらくお願い」
 私はライダーの肩を叩くと地下室を出て行くことにした。
 一端、自室に戻って身支度を整える。
 玄関を出て振り返ること数秒。遠坂邸(いえ)はいつものように、不気味なまでに静かだった。
「……ロック(Schliesung.)コード7(Verfahren, Siben.)
 結界を最大強度で起動する。魔術協会にも明かしていない切り札のひとつだ。
 聖杯戦争は結果によって、魔術協会と聖堂教会を同時に敵に回す可能性がある――ゆえに遠坂家は、いざという時に備え、両方に明かしていない様々な秘物を隠匿している。“工房”でもある邸宅を守る結界もまた、そのひとつだ。もっとも、この結界でさえ、力のある魔術師にかかれば数分と経たず壊されてしまう。秘物を総動員しても、単なる時間稼ぎ以上のことはできない。
「最悪の事態……か」
 私は野良猫一匹、小鳥一羽も立ち寄らない幽霊屋敷を見上げてみた。
 今がその時かもしれない。
 いや、絶対にそうだ。
 私たちを聖杯戦争という大儀式を()()()()()()()()()。しかも一瞬とはいえ、根源の渦に通じる経路(パス)を生み出し、あまつさえ()()()()()()()()()。確かめたわけではないが、聖杯の正体について整理して考えれば、きっと、そういうことなのだろうと思う。
(問題は……)
 私は小さくため息をついた。
 聖杯戦争は終わった。でも、本当の意味での面倒は何も終わっていない。むしろ、私たちが生き延びてしまったことで、状況は最悪の二乗――いや、ライダーもいるから三乗だろう――になっている。
「とにかく」
 私は自分に気合いを入れてから遠坂邸(いえ)に背を向けた。
 坂を下り、交差点を抜け、三十分と離れていない場所に立つ別の屋敷に向かう。
 間桐(まとう)邸。
 外観こそ同じ洋風だが、遠坂邸とは異なる結界で守られた、冬木市に二つしかない魔術師の“工房”のひとつだ。でも、今は結界が稼働していない。たった一人の住人となった間桐家の新当主が、帰宅後も何もせず、放置しているからだ。
「入るわよ」
 私は正面玄関のドアノブをひねった。
 案の定、鍵すらかかっていない。
 エントランスホールに入り、グルリと見渡してみる。
 中は死んだように静まり返っていた。
(どうせ……)
 私は迷うことなく、食堂の一角にある隠し扉――といっても開けっ放しだったので隠れてもいなかった――に向かった。家から持ってきた小さなマグライトを照らし、中へと入ってみる。延々と続く螺旋階段は、奈落の底に通じているかのように暗闇に閉ざされていた。
 不意に猛烈な臭気が漂ってくる。昨日今日に造られたものではない。何十年、何百年という歳月をかけ、死臭と、腐臭と、悪臭と、汚臭を、石壁の深いところまで染みこませた結果として漂いだしている臭いだ。
「桜!」
 広い空間に出たところで、私は大声を張り上げてみた。
 声はこだまするが、返事がない。
「桜!?」
 さらに階段を降りる。最下段に到達。広々とした空間の中央に向かってみる。
「桜……」
 探し求めた人物は、そこに立っていた。
 間桐(まとう)(さくら)――今だ“この世全ての悪意(アンリ・マンユ)”の影を引きずる、間桐家最後の魔術師。
 昨日、衛宮邸で目を覚ました直後は、一応、普段に近い反応を見せていた。
 でも、ライダーが拾ってきた“衛宮士郎”を見た時、桜を支えていた最後の何かが壊れてしまった。
 当然だと思う。私自身、悲鳴をあげそうになったほどだ。なにしろ――それは肉塊だった。人間のカタチをした、肉の塊にすぎなかったのだ。
 左腕を除くすべての部位が、醜悪なまでに、ブヨブヨとふくらんでいた。水死体でも、ここまでひどくはならない。毛髪という毛髪も抜け落ち、顔らしいところを見ても、肉のしわと閉ざされたまぶたが区別できなかった。最悪だったのは、アーチャーから移植した左腕だけが以前と変わらぬ姿をしていたことだろう。不幸中の幸いなんかじゃない。対比物があるだけに、余計に醜悪さが際だつのだ。
 だから私も、最初のうちは、それが衛宮くんであることを認めようとしなかった。しかし、無事な左手がしっかりと握りしめていたのは、間違いなく、あの赤い宝石だった。我が家の家宝として父から受け継いだ、あの宝石だったのだ。
 私は現実を受け入れた。
 受け入れなければならないと思った。
 たとえ変わり果てた姿になろうと、衛宮くんは生きている。死んだわけではない。いや、おそらく一度死んでいるが、不完全ながらも復活を遂げたのだ。多分、どこを探しても見あたらないイリヤが何かをしたおかげで。おそらくイリヤは自分の命と引き替えに……
 やめよう。
 今は、イリヤの残した不完全な奇跡を、本物の奇跡にするべき時だ。
 そのためには。
「桜。衛宮くんを助けるわよ。協力しなさい」
 幽鬼の如くたたずんでいた桜の気配が変わった。
 ゆっくりと顔をあげてくる。
 物言わぬ桜の瞳が「本当?」と私に尋ね返していた。
 私は頷いた。
 そうだ。衛宮くんは、まだ生きている。でも、このままでは今度こそ死んでしまう。だったら私たちのやるべきことはひとつだ。
「絶対に助けるわよ」
 私は自らに言い聞かせるように語りかけた。
「あの馬鹿、私とあんたと世界を救ったのよ。私たちを救った責任、きっちり果たしてもらわないでどうするのよ。いい、桜。絶対、なにがなんでも、あの馬鹿を助けるわよ。わかったわね」
 それは私なりの、運命に対する宣戦布告だった。

To Be Continued

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